小山薫堂の一食入魂 [105]
ぱんこの退職記念プレゼントの中でひときわ
目を引いたのが2.5kgの巨大な鯛焼きであった
人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡

男は、退社した“おかん”を思い起こしては感傷に浸る
……こともなく、串カツ屋で思い切り食べまくり、
行きつけのイタリアンで新しいメニューを考え、
一食入魂の道をひたすら突き進むのであった。
×月××日
5年間に渡り、事務所の“おかん”として活躍してきた松本ぱんこがついに出産退社することになった。
「将来、小さなパン屋さんを開くのが夢です。私を雇っていただけたら、毎朝おいしいパンを焼きます」と面接で語った彼女だったが、結局、最後までその腕が事務所で発揮されることはなく、逆にうまいものに“さんざっぱら”ありついて、彼女は卒業して行った。
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| 退職記念に「お目出タイヤキ」をプレゼントされ大喜びの事務所の“おかん”こと、松本ぱんこさん。お疲れさまでした! |
ぱんこにパンを焼く才能はなかったが、人に愛される、という才能があった。退社の知らせを聞いた人から、事務所に色々なものが届く。中でも食いしん坊のぱんこが飛び上がって喜んだのは、ラジオディレクターのYさんが贈ってくれた巨大な鯛焼きだった。普通の鯛焼きの30倍以上はあろうかという大きさ。全長53cm、重さ2.5kg。思わず魚拓をとりたくなる鯛焼きである。20名のスタッフでピラニアのように食べ尽くそうとしたが、それでも苦労するくらいのボリュームだった。
あまりにも面白かったのでYさんに聞いたところ、千葉にある「NEO」という店まで買いに行ったという。
「お目出タイヤキ」という名前で販売されていて、1匹5555円。焼くのに1時間くらいかかるらしい。
出産を目前に控えた妊婦は、嬉しそうにそれを抱きかかえた。人を笑顔にする食べ物は最高の手土産になる。早速、N35の推奨手土産リストに登録させてもらった。
×月××日
ばんこが事務所を去ってから3週間。いなくなって初めて、彼女が偉大な秘書だったことに気づく。そして、出張先の大阪のホテルで、一人、漠然とぱんことの思い出を噛み締めていた時のこと……。
「あぁ、ぱんこよ、君は今、何をしているのだろう?」
と、感傷的な気持ちになることはなく、「そうだ!」と閃いた。
「串カツを食べに行こう!」
大阪出張の際、ちょくちょく立ち寄る串カツ屋がある。素材をそのまま揚げるのではなく、ひと仕事施した今風の創作串カツ。しかもワインがそこそこ充実しているのも嬉しい。
その名を……「パンコ亭」という。大阪でぱんこのことを考えると、ついついこの店の串カツが食べたくなるのだ。
シャンパンを飲み、野菜スティックをつまみながら串カツを待つ。王道の車海老から始まり、ここのスペシャリテのひとつ、そのままステーキで食べても確実にうまいシャトーブリアンの串カツでギャフンとなる。鱈の白子を湯葉で巻いたものや、鯛とうるいなど、旬の食材を上手にアレンジした串カツがテンポよく出てくる。そして決まって誰もが唸るのが、うなぎとフォアグラのコロッケ。パンコ亭の4番バッターだ。 15本、おなかいっぱいいただき、最後はさらりとお茶漬けで締めておよそ4000円。この味で、この値段……常に満席の理由がよく分かる。
パンコ亭を出て大満足で歩いていると、商店街の道筋に「売れても占い商店街」という垂れ幕が並んでいた。どうやらこの商店街は、占いで町興しをしようとしているらしい。ぱんこの子供の名前でも占ってもらうかな、と父親のような気分になった。
×月××日
日曜日でも一人でフラッと立ち寄れるいいレストランは意外と少ない。そういう中、相変わらず重宝しているのが麻布十番の「イル・マンジャーレ」である。開業から1年を過ぎ、ますますスタッフ全員に脂が乗って来たような気がする。
いつものように料理人の仕事を間近で見ることの出来るカウンター席に陣取り、まずはスプマンテを一杯。チーズをつまみながら、メニューをめくり、入荷食材などを頭の中にインプット。そして、その日の作戦を考える。許されるなら、日曜日の夕方、一人で行くのがいい。午後の銭湯に一番乗りして初湯につかる気分で、店とシェフの鵜野さんを独り占めにする……これぞ至福のひとときである。
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| 卵かけご飯のイメージで考えた牛肉のせスパゲッティ。メニュー名は……次回のお楽しみ。 |
寿司屋にいる気分で、食べたくなったものを一皿ずつハーフサイズで注文する。あるいは、シェフが食べさせたいと思うものを勝手に出してくることもある。この日は、
「ちょっとコレ、食べてみてください」
と出されたのは山形牛サーロインのブレザオラ。つまりはカルパッチョのようなものだが、さらに薄くスライスしてある。口に含むと、なんとも言えない食感で、肉の甘さが広がった。その時、ある料理のアイデアが閃いた。まだ他に客はいない。今ならワガママも通るだろう。早速、鵜野さんに提案してみた。
「茹でたてのスパゲッティをバターとパルミジャーノで和えて、その上にこの肉を乗せたらうまそうじゃないですか。熱々のスパゲッティで生の肉に少しだけ熱を入れるんです」
僕がイメージしたのは卵かけご飯だった。卵の代わりに肉、ご飯の代わりにスパゲッティ。すると鵜野さんは、
「そこに葱を散らしても、うまいと思いますよ」
「おお、いいかも! それいきましょう!」
こうしてカウンターでのシェフとの会話から生まれた新しいパスタ。シンプルであるが故に飽きることのない、イメージ通りの味だった。これにどんな名前をつけるか……それは次の来店の楽しみにとっておくことにした。
×月××日
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| 「キッチンわたりがらす」の村上秀貴さん。HPは、http://watarigarasu.jp/w/ |
ラジオ局のJ-Waveで、毎年恒例のスペシャル生放送を行う。9時間という長丁場ゆえ、スタッフの士気を保つためのうまい食事が必要になるのだが、この日はプロデューサーが面白いケータリングシェフを見つけて来た。その名も「キッチンわたりがらす」。村上秀貴さんという若い料理人が一人で運営している「移動食堂」である。無農薬のお米と野菜にこだわり、旬の食材を愛情込めて調理する。ケータリングというより、町の小さな食堂が仕事場にやってきた、という表現のほうがふさわしい。
この日のメニューは、茄子の豚肉の味噌炒めと炊き立ての玄米ご飯、ほうれん草の和え物。普通の献立だが、その普通が究極なのである。普通を極めたものがいちばん美味しい……ラジオ局に突然現れた小さな食堂で味わい、そう実感した。
「NEO」
千葉県浦安市当代島3-4-55
TEL.047-720-0477
「パンコ亭」
大阪府大阪市福島区福島7-7-8
TEL.06-6455-3423
「イル・マンジャーレ」
東京都港区麻布十番1-9-2 ユニマット麻布十番ビル6階
TEL.03-6459-1577
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