小山薫堂の一食入魂 [104]

牛肉とトマトの絶妙な相性を楽しみ、〆はパスタ。
2010年は“トマトすき焼き”ブームが来る!

 
 

人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡



男は、2009年に突如訪れたマイブーム、“トマトすき焼き”の総本山へと向かい、
そこで悔しいくらいのうまさに打ちのめされ、また確信を深めたのであった。
今年、トマトすき焼きブームが来ると……。

 
 

文・撮影 小山薫堂

題字作成・小山佐知子(「ぱさら」店長)

 
 

 

×月××日

「ばさら」のトマトすき焼きは、牛肉、トマト、玉ねぎのシンプルな構成。少し火が入った卵につけて食べるのもいい。つくってくれたのは小山裕久さん!

 数カ月前、自分の中で突如として巻き起こった“トマトすき焼き”ブーム。「普通のすき焼きにトマトを入れるだけで、割り下の甘味とトマトの酸味が絶妙に調和してうまい」というラジオリスナーの投稿がきっかけだった。家で試してみたところ、確かにうまい。以来、我が家のすき焼きには必ずトマトが入るようになった。のだが……そのトマトすき焼きの総本山とも言える「日本料理 三田 ばさら」のそれを食べずして、本質は語れない。出産のため退社するアイドル秘書の松本ぱんこを連れて、ついに「ばさら」に乗り込んだ。
 お品書きを広げるまでもなく「トマトすき焼き」を注文。いつもは色々な料理に目移りしてしまう自分も、今日は迷わない。この日のために我流のトマトすき焼きで修行を積んできたのだから。

 やがて運ばれてきた食材を見て驚いた。くし切りにした立派なトマトと厚めの半月切りにした玉ねぎ。さらにニンニクとバジルを少々。そして程よくサシの入った国産牛のサーロイン。材料はたったこれだけ。すき焼きでお馴染みの焼き豆腐や春菊、ましてや糸こんにゃくなどどこにも見えない。この時、すでに薄々感じていた。自分がこれまで食べてきたものは、本物のトマトすき焼きではなかったのだ……と。
 そして、早くも敗北感が募る中、目の前に、何とトマトすき焼きの生みの親である「青柳」主人の小山裕久さんが現れた。どうやら大将自らの手で、新参者の我々をギャフンと言わせようという魂胆らしい。これはもはやトマトすき焼きの合戦。こちらも箸を握る手に自然と力が入る。.

 意外なものは食材ばかりではなかった。本格的な和食店なら、通常、すき焼き鍋に南部鉄器あたりを使いそうなものだが、ここのはコーティング加工されたティファール。家庭の主婦が使いそうな鍋である。
「色々試したけど、これが一番使いやすかったんですよ」
 敵はさらりと言いながら、鍋にオリーブオイルを垂らし、ニンニクを炒め始めた。すき焼きにニンニク? この時点で我が家とつくり方も異なる。食欲をそそる香りが出てきたところで、敵は肉を一枚さっと焼いて、塩、胡椒を振った。
「まずはこのまま食べてみてください」
 なるほど、肉の上質感をアピールする作戦できたか。言われた通りに食べてみると……うん、さすがにうまい。しかしこれは想像の範疇である。 「なかなかの肉ですね」と余裕の表情で返した。
「じゃあ、そろそろ始めますか」
 ついにこの時が来た。敵はトマトと玉ねぎを鍋に並べ始めた。トマトは湯むきなどせず、皮付きのまま。そこにバジルを散らし、自慢のサーロインを入れて軽く焼く。さらに割り下を入れると、ジュワジュワ~とうまそうな音がして、甘い香りがたちこめた。
「もう少し煮立ったら、これにつけて、食べてください」
 出されたのは、少し火を入れて白くした生卵。温泉卵風になっているため、外国人でも抵抗なく食べられるという。
トロトロになったトマトを肉に絡ませ、シャキシャキの玉ねぎと共に卵に浸して、口に運ぶ。
「………」
 悔しいくらいにうまい。日本人のDNAに刷り込まれた旨味と、トマトの酸味の出会い。時折香るバジルがすき焼きの重たさを消し、ニンニクの風味が食欲を刺激する。これに合わせて選んだピノノワールとの相性も抜群である。通常のすき焼きは、味が濃すぎてついついご飯が欲しくなるが、これはワインのつまみとして究極の完成形ではないだろうか。
「少しだけ硬さが残るトマトのレアもうまいですよ」
 肉に飽きたところで、トマトで休憩。このアクセントのつけ方も素敵だ。トマトと玉ねぎのシンプルな構成ゆえ、この料理は逆に奥が深いものになっているのかもしれない。

 そして最後は、鍋に残った割り下に、赤ワインとトマトピユーレを入れて煮詰め、フェットチーネを投入してパスタ料理をつくる。牛肉の旨味を凝縮させたパスタがうまくないはずがない。
 結局、普段は少食の妊婦も、二人前をペロリと平らげた。もう完敗である。
「参りました」
 敵は当然だろうという顔をして、ぽつりと言った。
「レタスしゃぶしゃぶもうまいよ」
 レタスしゃぶしゃぶ? ……次の戦に備えて、少し走り込む必要がありそうだ。

 

×月××日

 オフィスの近くに「伊太利亜亭」というスパゲッティ屋がある。もう10年近く通っているのだが、前々から密かに企んでいることがあった。それは、自分の名前をつけたスパゲッティをメニューに加えてもらうこと。

 実はここには“テラスペ”という裏メニューがある。寺田さんという人が発案したものらしく、いつからか“テラスペ”と呼ばれて常連たちに愛されるようになった。寺田さんがどういう人かは知らないが、この店の客たちの間ではもはや神と化しているのである。
 その話を聞いた弟子の内田ぼちぼちが、実は数年前、「ぼちスペ」をつくってもらおうと店主に頼み込んだことがあった。結果は……「あんたは10年早い」。これは、師匠と弟子の実力の差を見せつけるチャンスだと思った。以来、密かに「薫堂スペシャル」のメニュー化を狙っていたのだが……ついにその夢が叶う日が来た。

“薫堂スペシャル”の試作品(?)。まだ進化中なので、残念ながら注文はできません。

 ランチタイム前でまだ他に客がいなかったので、ちょっとワガママなオーダーをしてみた。店主は優しく聞いてくれたので、勇気を出してさらに言ってみたのである。
「今度からそれを頼むとき、“薫堂スペシャル”って呼んでいいですか?」
 美しいマダムは少し考えて「いいわよ」と言った。心の中でガッツポーズをしたのだが、その直後にマダムは言った。
「でも、これおいしいかしら? もっと工夫したほうがいいんじゃないの?」

 というわけで、“薫堂スペシャル”は、裏メニューとしての完成を目指し、日々進化中なのだ。

 
 

 

小山薫堂さんのオフィシャルサイト「N35」はこちら!▼
 http://www.n35.co.jp

 
 

「日本料理 三田 ばさら」

   東京都港区芝3-43-16 DNI三田ビル地下1階
   TEL.03-5444-6700

「伊太利亜亭」

   東京都港区麻布台1-10-9 山雅ビル1階
   TEL.03-3586-8296

 
 
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