小山薫堂の一食入魂 [102]

サプライズの連続の料理の最後は、イクラを
一粒ずつ潰してつくった卵かけご飯であった

 
 

人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡



男は、ラジオ番組に寄せられた「イエゴハン」のレシピの
ひとつであった“トマトすき焼き”に惹かれ、
〆のスパゲッティの超A級的B級グルメな味にハマってしまったのであった。

 
 

文・撮影 小山薫堂

題字作成・石森いづみ

 
 

 

×月××日

「幻燈士なかだ」の卵かけご飯。イクラを一粒ずつ丁寧に潰し、中身を取り出している。凄い。

 かつて渋谷区松涛に、千一夜しか営業しない完全紹介制の料理店があった。和魂洋才の技から生まれた「レモンのリゾット」や「フォアグラの粕漬け」は、まさに今となっては幻の一皿と言える。あの料理はもう二度と味わえない……と諦めていたところ、その主人であった中田さんが、ひっそりと新しい店を開いていた。
 その名も「幻燈士なかだ」。店の所在を明かすことなく、完全紹介制にしている点は以前と同じ。しかしその料理は確実に進化を遂げていた。

 まず驚かされたのは、健康まで考慮した料理の構成。朝鮮人参のブランマンジェで始まり、ニンニクのプリンで終わる。全10皿以上を食したはずなのに、胃袋はピンピンしている。体に優しい食材を積極的に使い、絶妙の分量と味付けで仕上げた結果であろう。

 とにかくその料理はサプライズの連続である。例えば、最後に出てくる卵かけご飯には、鶏卵ではなくイクラを使用。鶏卵を割るように、イクラを一粒ずつ潰して中身だけを取り出し、それをご飯にかけて食べるのだ。魚卵の臭みなど全くない。信じがたいほど上品でなめらかで味わい深い卵かけご飯なのである。

 しかもこの店、料理がうまいだけではなく、空間から器まで全てが洗練されている。久しぶりに、食を芸術まで昇華させている店に出会った。

 

×月××日

フードコーディネーターの石森いづみさん。今回の題字はトマトを並べて「一食入魂」の文字をつくってくださった。

 FMラジオ局のJ-Waveで「イエゴハン」をテーマに9時間の生放送を行う。大切な家族や仲の良い友人と食卓を囲む「イエゴハン」こそ、最も贅沢な食のかたち。我が家ならではの自慢のレシピをリスナーのみなさんから募集した。

 千数百のお便りが届いたのだが、その中で思わず自分も真似したくなったのが「トマトすき焼き」。すき焼きに大量のトマトを入れると、割り下の甘味とトマトの酸味が絶妙に調和して食欲をそそる味になるのだとか。想像しただけで唾が出てきた。そして何より惹かれたのは、トマトすき焼きの〆方。通常、すき焼きの最後にはうどんを入れるが、その家のトマトすき焼きは極太スパゲッティを入れるのが定番らしい。すき焼きの残り汁にスパゲッティを入れ、さらにトマトケチャップで味を調える。これはうまいに違いない! と直感した僕は、放送終了後のリスナーイベントで、トマトすき焼きを再現してみることにした。

リスナーから募集した「イエゴハン」レシピの中で最も気になった“トマトすき焼き”。残念ながらすき焼きは食べられなかったが、〆パスタにハマる。

 調理してくださったのは、伝説のグルメ映画「タンポポ」以来、伊丹十三監督のお抱えフードコーディネーターとして活躍してきた石森いづみ先生。石森先生のスタジオに20名のリスナーを招き、番組内で取り上げたいくつものイエゴハンを再現してもらったのだが……中でもトマトすき焼きは圧倒的な人気を誇り、たちまちのうちに売り切れ。すさまじい争奪戦の中、〆のスパゲッティにかろうじてありつくことができた。
 その味は……なるほど、これは想像していた以上に素晴らしい。牛肉の旨味が凝縮した、和風味のスパゲッティナポリタンなのである。まさに超A級のB級グルメ。〆がうま過ぎただけに、肝心のトマトすき焼きを食べ損ねたことが悔やまれる。

 そういえば、小山裕久さんが三田に出した「ばさら」は、トマトすき焼きを名物メニューにしているらしい。こちらの〆はスパゲッティではなくフェットチーネ。トマトすき焼きがマイブームとなりつつある今、早々に足を運んでみようと思っている。

 

×月××日

噂の「シェ・エミ」のディナーは、ある意味究極の「イエゴハン」。全16皿のコースは豊かな気分にさせてくれる、幸せの食卓であった。

 一部の食通たちの間で噂になっている「シェ・エミ」に行く。と言っても、そこは一般営業の料理店ではない。某一部上場企業の会長夫人が自宅を開放して開催している「イエゴハン」の会なのである。とは言うものの、そのメニューは主婦の手料理のレベルを遥かに超えていた。6種類の手づくりソースが用意された野菜のディップに始まり、海老トーストや長芋のグラタン、さらにはサムゲタンまで、ジャンルに捉われない全16皿のコース。このすべてを主婦シェフはたった一人で準備し、たった一人でサーブする。シャンパンやワインの持ち込みは自由だが、自分たちの手酌となる。本当に豊かな食は、幸せを分かち合うこと。つくり手と食べ手の理想的な関係がここにある。

 隔週の金曜日、月に2度だけのオープンで、一晩一組のみ。よって、現在予約は半年待ちとなっている。「シェ・エミ」が日本で最も予約のとれないレストランであることは間違いない。

 
 

 

小山薫堂さんのオフィシャルサイト「N35」はこちら!▼
 http://www.n35.co.jp

 
 
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