小山薫堂の一食入魂 [99]
シェフが畑から抜いてきた新鮮な野菜を用いた料理は
どれも“土地の味”がしたのであった
人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡

男は、長野県の民家で田畑を吹き抜ける夜風を感じながら
“ユーロジャポネ”料理を味わい、
軽井沢で繊細なケータリング料理を堪能し、
これからはスターが地方から生まれることを確信した。
×月××日
ミシュラン以上の情報網を張り巡らしているG舎のK社長から「君をどうしても連れて行きたいレストランがあるんだ」と意味深な誘いがくる。実はK社長自身もまだ行ったことがないものの、色んな意味で度肝を抜かれる店だという。“田んぼの真ん中にある納屋を改造した店”で、“夫婦二人”でやっていて、“夜の予約は一日一組”のみ。ヨーロッパで10年間修業したシェフが作り出す料理は“ユーロジャポネ”というジャンル。それでいて、ディナーは5500円から、一番高くても8000円。タイミングが良ければ、“デザートを食べながら蛍”を見ることができる。
「行きます、行きます!」と、大喜びして手をあげたところ、K社長はニヤリと笑って付け加えた。
「でも東京から200km以上離れた田舎なんだけど……」
ますます興味が湧くではないか。
2週間後、僕はK社長と胸躍らせながらその店に向かった。
長野県の本当に平凡な田舎の風景。玉村豊男さんのワイナリーのように洗練された田舎ではなく、県道を軽トラックが走っているような……、建て売り住宅が中途半端に点在しているような……、筋金入りの普通の農村である。その田畑の中にポツンと、噂の店は存在していた。農家の納屋を(限りなく低コストで)改造しているため、なかなか見つけられない地味な外観。狙った演出が何もない、素朴な佇まいに好感が持てる。
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| 氷を張った洗面器に浮かべたキュウリ、鮎の玄米リゾット、野菜の寿司……。長野の平凡な田舎にある民家レストランは、奇跡のレストランであった。 |
民家の庭先を訪ねるような気分で歩いていくと、シェフと奥さんが出迎えてくれた。
「遠いところから、ようこそいらっしゃいました。まずはこれでもお召し上がりください」
氷を張った洗面器に、とりたてのキュウリが浮かんでいる。真ん中から二つに折ると、ポキッと音がした。冷たくて、シャキシャキの食感。もうこれだけで、200kmの疲れが吹き飛ぶ。山の端を染める夏の夕暮れに見入っていると、シェフはいつの間にか畑の中をウロウロしていた。これから使う野菜を選んでいるのだ。土のついた人参を持ってきて、香りを嗅がせてくれた。
「いい香りがするでしょう?」
ああ、何と贅沢なレストランだろう。都会のどんな名店も真似できない究極の演出が、ここでは当たり前のこととして行われているのである。
田畑を吹き抜ける夜風を感じながら、ディナーが始まった。最初は軽く茹でて塩を振っただけのアスパラガス。大皿に山盛りで出されたものを、好きなだけ自分の皿にとり、新鮮な半熟卵や自家製マヨネーズで食べる。ナイフとフォークで食べていたK社長は、そのうち手づかみに変わった。
焼きたてのパンは、オリーブオイルではなく、菜種油で。30分前まで土の中にいた人参は豆のテリーヌと一緒に出てきた。この調子で、出てくるもの全てに「土地」の味がする。さらにユーロジャポネと名乗っているだけに、鮎の玄米リゾットや野菜のお寿司も登場。原点回帰と新鮮な驚きに満ちた全10皿を堪能した。これで8000円とは信じがたい。
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| シェフは畑を歩き回り、食材となる野菜を抜く。 |
まさに、田畑の中の奇跡のレストラン。ぜひとも紹介したいところだが、夫婦二人で静かに仕事をしていることを慮ると、店の名を明かすべきではない気がするので、今回はあえて「L」とだけ記したい。
僕は「L」の料理を味わい、確信した。こういう店が地方を元気にするのだ、と。地元の食材の魅力を一人の料理人が引き出すことで、その土地が俄然輝き始める。近所の人々は喜びを感じて自信を持ち、その料理を求めて外から人が集まる。その料理をうまいと感じれば、人はその土地のことをもっと深く知りたくなるはずだ。
料理の力で日本を元気にする……そんなことを本気で考えてくれる政治家が現れたら、僕は間違いなく一票入れるだろう。
×月××日
友人のT氏から「軽井沢で食事をしませんか?」と誘われ、新幹線に乗って出かける。新しい店を紹介してくれるのかと思っていたら、中軽井沢にある「ホテルブレストンコート」のメインダイニング「ノーワンズレシピ」からケータリングを呼んだという。
T氏の別荘の玄関扉を開けて驚いた。
ケータリングというので、フィンガーフードが並んでいる程度かと思っていたら、スーツ姿のスタッフが5人、コックコートを着た料理人が3人、グラスやカトラリーなどのテーブルセッティングも完璧で、その室内は豪華な一軒家レストランと化していた。
しかしそれ以上に驚いたのが、出てくる料理のクオリティ。東京の超人気フレンチをも凌ぐレベルにあるのだ。その日のメニューの一部を記すと……「ビーツのジュレに浮かんだ人参のムース」「ズワイガニと白イカのタルタルを詰めたグリーンアスパラガスのシャルロット」「サザエのスープ カプチーノ風」「野生のクレソンサラダを添えた鱧のポワレ 生姜風味のソース」「軽くスモークをかけた信州牛ロースのポワレ」。
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| ホテルブレストンコートのケータリングは驚くほど高いクオリティであった。上のデザートの緑の葉はなんとチョコレート! 左は浜田統之シェフ。 |
味付け、食材のアクセントのつけ方、盛りつけ、そのどれもが繊細かつ華麗。一皿ごとに、そこにいた全員が「これは、うまい!」と声を上げる。おかげで料理が出るたびに会話が中断し、料理が主役になるという“嬉しい困った事態”になってしまった。
そして、デザートがこれまた素晴らしい。食材の組み合わせが斬新な「オレンジのジュレとじゃがいものピューレのハーモニー」は、一番のサプライズディッシュ。器の上に乗っている緑の葉っぱは、何とチョコレートだった。朝露と葉脈まで見事に再現されていて、食べるのがもったいないくらいだった。
素晴らしいディナーを味わった全員の関心は、当然のことながら料理人に向けられた。料理だけでなく、デザートまでを手掛けたのは、33歳の若き総料理長、浜田統之(のりゆき)さん。こんな才能が軽井沢に隠れているとは知らなかったが、世界一のフレンチシェフを決める2005年度の「ボキューズ・ドール国際料理コンクール日本大会」で、史上最年少優勝を果たしたというから納得である。
これからは食材が豊かな地方から、新しいスターシェフが生まれてゆく時代になるかもしれない。
「ホテルブレストンコート」
長野県軽井沢町星野
TEL.0267-46-6200
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