小山薫堂の一食入魂 [98]

そのお洒落なカフェは驚くほど安い自然派の
ワインと心温まる料理が揃う幸せな店であった

 
 

人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡



男は、驚くほど安くて幸せになれるワインカフェ、東京の奥深さを
実感するフレンチに行き、そして職人の手焼き煎餅を食べ、
ある決意をしたのであった……。



 
 
文・撮影 小山薫堂
題字・鈴木和夫
 
 

 

×月××日

 「最近、どこかいい店ありました?」と、よく人に尋ねられる。たいていは「う~ん、そうですねぇ……」と言いながら、頭の中を検索するのだが、 「ありましたよ」と即答できる店を最近見つけた。
 場所は品川区荏原。駅で言うなら西小山である。駅前の桜並木に面したガラスばりの小さなカフェ。その名を「カフェ・カウラ」という。見た目は近所の主婦たちが昼間に集いそうなちょっと洒落たカフェ。しかし、絶対に入ろう、という気分にさせてくれる雰囲気はない。
 ここは自らをカフェと名乗っているものの、本当は(予想ですが)“日本で最も安いワインバー”なのである。

「カフェ・カウラ」には、ネットで買うよりも安い値段の自然派ワインが揃う。ワイン好きの若い夫婦の接客も心地よいのだ。

 まず、ワイン好きの若い夫婦がせっせと堅実に働いている姿が気持ちいい。ワインの蘊蓄を全く押し付けないところにも好感が持てる。メニューが豊富なわけではないが、どれも手作り感に溢れていて、特にワインのつまみとして満点のものばかり。そして……コピー用紙にワープロで打ち、隅をホッチキスでとめただけのワインリストは見かけこそ素気ないものの、素晴らしいのである。フランスと日本を中心にして、選び抜いた自然派ばかりをラインナップ。その値段が驚くほど安い。一緒に行った人気ワインバーの店主は「これ、完全に1か2が抜け落ちてますね」と愕然としていた。普通の店に行けば2万8000円や1万8000円するワインが、ここでは8000円で飲めるのである。中には、インターネットの酒屋で買うよりも、ここで飲んだほうが安い貴重なワインもある。
 オリーブのフリットと新にんじんのラペ(にんじんをせん切りにしてドレッシングと和えたサラダ)、そしてレバーのパテをつまみにして、前々から気になっていた白ワインを開けた。扉が開けっ放しになっているので、夜風が入ってきて何とも心地いい。背伸びをしていない、夫婦のペースでやっている感じがいいのだろう。あぁ、幸せだなぁと思える瞬間。
 ネットで買うと1万5000円くらいするワインなのだが、食べて飲んで1万円でおつりがきた。こういう静かな名店を応援していきたい。

 

×月××日

 かつて六本木に「まっくろう」というレストランがあった。もはや伝説となっている文化人たちの食堂。数年前に閉店したのだが、主要スタッフが再び結集して始めた店が西麻布の「サロン・ド・グー」である。

かつて文化人たちが集った伝説の店「まっくろう」の味と雰囲気を受け継ぐ「サロン・ド・グー」。客がよろこぶうまいものを出してくれるのがうれしい。

 ここは非常に贅沢な店だと思う。値段が贅沢なのはもちろんのこと、やることが何もかも贅沢。例えば、サマートリュフのタルトを頼むと、薄い皮の上に乗せられた山盛りのサマートリュフが出てくる。もちろんこの下にはソースが隠れているのだが、これを二つに折り曲げて、ガブリとやる。フランス人さえこんなことはしないだろう。
「まっくろう」の常連客たちにも人気のあった、目玉焼きを乗せた贅沢なハンバーグも、もだえたくなるうまさ。一応フレンチレストランではあるが、白いご飯を率先して出してくれるサービスが嬉しい。やっぱりこういう時、日本人は米を食べたくなるのである。
 こういう店を知ると、東京のレストランの奥深さを感じる。たとえミシュランが来ても、きっと掲載拒否するだろうなぁ……。

 

×月××日

 お菓子研究家の村山なおこさんからお煎餅が届く。品のある包みを開くと、こんな手紙が同封されていた。
「本駒込の梅月堂、ご主人の鈴木さんが炭火で焼いた手焼き煎餅です。開店記念日にあたる6月30日をもって、閉店となります。60歳という年齢で一枚ずつ手焼きをすることへの限界、そして煎餅生地問屋の相次ぐ閉店。舌に自信のあるうちに身をひく……そんな想いから決意されたそうです」
 そういえば去年の暮れにも、村山さんから「梅月堂」の堅焼き煎餅をいただいた。山形の有機米、四国・三谷精糖の和三盆、銚子・入正醤油の澪つくしなど、鈴木さんが自ら産地まで出向いて仕入れた材料で焼き上げた煎餅。ポテトチップスで育ってきた若者からすれば、これは堅過ぎると感じるかもしれない。100円のハンバーガーに慣れている若者からすれば、一枚150円の煎餅は高いと感じるかもしれない。けれどもそれは、なんだか時間の味がして、心が落ち着くやさしさを秘めているのである。きっとこの煎餅とお茶の組み合わせに、人生の喜びを感じているファンは多いと思う。

残念ながら6月で閉店してしまった「梅月堂」の手焼き煎餅。今回の題字は、主人の鈴木和夫さんに書いていただいた。

 村山さんはさらにこう綴っていらっしゃった。
「ご主人の渾身の力を込めて焼いた作品。悲しいけれど、今ごろになってようやくおいしく焼けるようになってきた……と、ご主人がポツリ」
 やるせない気持ちになると同時に、小さな使命感のようなものが芽生えた。こういう店を、メディアはもう少し守るべきではないだろうか。“今現在のうまい”ばかりを称賛するのではなく、料理人や職人がそれまで積み重ねてきた哲学や人生にもきちんと光を当てるという姿勢。そういう姿や作品は、ただうまいで終わるのではなく、大げさに言うなら食べ手の人生の分岐点にもなり得るのである。
 これだ!
 実は少し前から、この「一食入魂」という連載を書籍化しようと考えていた。しかし、今までの文章を集めただけではつまらない。単なるおいしい店ガイドにもしたくない。ならば、料理人や職人の哲学や作品が、食べ手の人生の分岐点となる……その料理を食べることで、ある人は元気になり、ある人は謙虚になり、ある人は勇気をもらう……そんな店ばかりを集めたこの10年近くの集大成。タイトルは「人生食堂~生きている喜びを知る100軒」。
 もしこの書籍が本当に出版されることになったら、僕はまっ先に、村山なおこさんと「梅月堂」の鈴木さんにお礼を言いに行こうと思う。

 
 

 

小山薫堂さんのオフィシャルサイト「N35」はこちら!▼
 http://www.n35.co.jp

 
 

「カフェ・カウラ」

   東京都品川区荏原5-15-15
   西小山サマリヤマンション1階
   TEL.03-3782-2411

 
 
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