小山薫堂の一食入魂 [96]
山形郊外の人気焼肉店は、客の来店時間に合わせて
最良の状態の炭火を用意するのであった
人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡

男は、学科長に就任した大学がある山形で
炭火がすばらしい焼肉店を見つけ、
故郷・天草の寿司屋の裏メニューに驚き、
地方の名店を発掘する面白さを改めて実感したのであった。
×月××日
この4月から東北芸術工科大学の企画構想学科長に就任し、月に数回のペースで山形市に通うことになった。活動拠点が増えたからには、行きつけのうまい店を探しておく必要がある。地元への聞き込みやネットを駆使したリサーチによって、まず常連になっておくべきであろう一軒の焼肉屋を見つけた。店の名を「楓庵(かえであん)」という。完全予約制の人気店らしいが、電話を入れてみると、ちょうど一席キャンセルが出たと言われた。何という幸運。これはもう行くしかない。
「何時にしましょう?」
と聞かれたので、
「7時でお願いしたいのですが、道に不慣れなため、早めに伺うかもしれません」
と答えたところ、
「7時と言ったら7時に来てください。6時半と言ったら6時半! どっちにしますか?」
「じゃぁ、7時ちょうどに行きます」
やけに感じの悪い店だなと思った次の瞬間、店の人がこう付け加えた。
「うちはお客さんの来店に合わせて、炭の火加減を調整しているんです。ごめんなさいね」
これは期待できる! と直感した。客の来店時間に合わせて最良の火を準備する……そんな店がうまくないわけがない。
期待に胸を膨らませ、7時ちょうどに着くよう、タクシーの運転手さんと相談しながら店に向かった。タクシーはどんどん山形の繁華街から遠ざかって行く。やがて山の中の集落に入り、焼肉屋などあるはずもないであろう暗闇の中にその店の灯りが見えてきた。
まずこの立地からしてかなりのサプライズだ。民家を改造した畳敷きの焼肉屋。ちゃぶ台の上の七輪で肉を焼くスタイルになっている。メニューを開くと、片隅にある注意書きに目がとまった。
「他人の肉はかまわずに、ご自分の肉だけ焼いてください」
「煙が出たり、炎が上がるようでは最悪です」
ますます期待が高まってくる。
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| 「楓庵」は山形駅から車で30分ほど、人里離れた山の中にあるが、「完全予約制」の人気店。“カッパ”やリブロースなどを最良の状態の炭火で焼いて食す。意外性にあふれた価値ある一軒だ。 |
リブロースやカルビなど4種類の肉で構成されている2人前のオススメセットを注文。加えて、「当店で2番目においしいのはこの肉です」という不思議なお品書きにつられて、“カッパ”を注文してみた(ちなみに、肝心の1番はどこにも書いてありませんでした)。カッパはバラ肉の外側の部分で、噛めば噛むほど甘味が出てくる牛肉界のスルメのような存在。酒のつまみにピッタリであった。
そしてついに、ステーキのようなリブロースの登場。煙を出さないように真剣勝負で焼いた。塩だけで十分うまい。肉そのものは、東京の高級焼肉店にかなわないかもしれないが、なるほど、ここは確かに火が素晴らしい。いい火で焼けば、肉もよりうまくなる。その値段を考えれば、久しぶりに大当たりの焼肉店である。何しろ、焼酎のボトルを一本キープし、2人で腹いっぱい食べて1万2800円。
山形通勤のモチベーションが、早くも見つかった夜であった。
(現在、山形情報募集中です。地元の方からのとっておき情報、お待ちしています)
×月××日
久しぶりに故郷の天草に帰る。天草に帰る楽しみは色々あるが、中でもうまい寿司を格安で食べられることがうれしい。
初日は、以前ダンキモ(男子着物を羽織る会)のメンバーを連れて行った「奴寿司」へ。一流の江戸前職人にもひけをとらない、ご主人の繊細な仕事。新鮮な食材の素晴らしさにおぼれることなく、創意工夫を怠らない姿勢がいい。桜の香りをうっすらとつけた“かすこ”の握りでスタート。いきなり目から鱗のおいしさである。上に大根おろしを乗せ、カワハギの肝を忍ばせた石鯛の握り。天草名物のタコは黒七味でいただき、太刀魚の炙りにはガーリックチップをトッピング。これだけ自由に創作していても、最先端というより、昔ながらのやさしい味がするから不思議だ。
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| 地元の天草にはうまい魚介があリ、それを握る寿司の名店が存在する。伝統の技に独創的な工夫が加わり、実に楽しいひとときが過ごせる。写真上は「奴寿司」のタコの握り、下は「蛇の目寿司」の白子のきゅうリ軍艦巻き。 |
翌日は天草のもう一軒の名店「蛇の目寿司」へ。こちらもまた、東京から飛行機に乗って食べに来るファンがいるほどの人気店。定番の握りから、白子などの変化球握りまで、バリエーシヨンが実に幅広い。
なかでも特に驚いたのは、隣の席の常連さんが食べていた裏メニュー。出てきたのは……なんと、スパゲティーだった。これまでいろいろな寿司屋を体験してきたが、カウンターでスパゲティーを食べている客を見たのは初めてだ。しかも悔しいことに、うまそうに食べているのである。
すでに満腹だったので、食べる機会を逃してしまったが、寿司屋のスパゲティー。ぜひいつか食べてみたい。
ところでこの2軒は、どちらも格安。東京の名店と同じレベル、いやそれ以上の寿司を3分の1の値段で味わうことができる。航空会社がこういう地方の名店を発掘していけば、搭乗客数も少しは増えるのではないだろうか。
×月××日
最近、足繁く通っている麻布十番の「イル マンジャーレ」に会社のスタッフを連れて行く。シェフの鵜野さんは、麻布十番の「リストランテ・キオラ」や白金台の「ラ・ボスケッタ」を経て、とうとうこの店に落ち着いた。
初めて手に入れた自分のレストラン。今まで現代的なイタリアンを作ってきた鵜野さんだったが、ここに来てスタイルが変わった。一言で言うなら原点回帰。最先端を狙い続けてきた男が、原点回帰し、地に足のついた料理を作り始めた……そんな印象を受ける。洒落たBGMより、お客さんたちのノイズ。店に入った途端、うまいオーラを感じるのだ。
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| 最近ハマっている「イル マンジャーレ」。なかでも、カウンターで鵜野シェフの顔を見ながら食べる「ローマ風レタスのスパゲティー」が最高なのだ。 |
メニューを開けば、ストレートの剛速球のような料理が並んでいる。余計なプレッシャーから解放されて自分のスタイルを見つけたシェフの料理はどれも本当に輝いている。特に僕が気に入っているのは、 「ローマ風レタスのスパゲティー」。鵜野さんがローマのはずれにあるフラスカーティという町の「リストランテ・カッチャー二」で食べた思い出の味をこの店で再現したらしい。生ハムとフレッシュトマトの絶妙の相性、それにレタスの半生の食感が癖になる。
カウンターに陣取り、鵜野さんの生き生きとした表情を見ながら白ワインを飲んで、ローマの賄い飯を食べる。これが最近の一番の至福の時間なのである。
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小山薫堂さんのオフィシャルサイト「N35」はこちら!▼ http://www.n35.co.jp |
「楓庵」
山形県山形市八森29
TEL.023-625-1129
「奴寿司」
熊本県天草市東町76-2
TEL.0969-23-4055
「蛇の目寿司」
熊本県天草市大浜町6-3
TEL.0969-23-2238
「イル マンジャーレ」
東京都港区麻布十番1-9-2 ユニマット麻布十番ビル6階
TEL.03-6459-1577













