小山薫堂の一食入魂 [92]
「カレーが食べたい」というひと言が
音楽プロデューサーの料理人魂に火をつけてしまった
人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡

男は、愛媛で実に不思議で旨くて安い中国料理の店に案内され、
その深みにハマってしまった。
そして、趣味人に贅沢かつずるいくらい美味なるカレーを
ご馳走してもらい4杯平らげたのであった。
×月××日
この冬、すっかり虜になってしまった日本一の温州みかん“貴賓”の畑を、愛媛県八幡浜市まで見に行く。単に甘いだけではなく、程よい酸味があって、何より果皮が極薄という点が最大の魅力である。そのため白い筋がついたまま食べても、全く気にならないから嬉しい。テロワールまで気を配ったみかん畑を見学したあと、地元の人に「この近くでうまい店はありませんか?」と聞いてみた。すると全員が口を揃えて「ロンドン別館」がいいと言う。「何料理の店ですか?」と尋ねたら「中華です」と言われた。中華なのに店名が「ロンドン」、しかも本館ではなくあえて別館。なにやら面白そうな匂いがする。
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| 「ロンドン別館」の料理は家庭的なものから高級食材を使ったものまで多種多彩。どれもビックリするほど旨く、安い! |
その予感は見事に的中した。まず店の外観が面白い。ロンドンのイメージからは程遠い料亭風の佇まい。立派な庭園に面した座敷に案内された。畳に座って食べるスタイルながら、テーブルはちゃんと中華の円卓になっている。卓袱(しっぽく)料理に近いのかもしれない。と思ってオススメのコースを頼んだら……やはりこれは中華である。本格的な中国料理というより、日本人の口に合う中華風の料理。が、安っぽくはない。
“クラゲとあわびの前菜”や“フカヒレのスープ”など高級食材を使ったものが出てくる。と思えば、“鶏の唐揚げ”や“エビチリ”のような家庭的なものが出てきたり……「ロンドン」という店名に象徴されている通り、あらゆるものがちぐはぐで何ともヘンテコなのだ。しかし、どれもビックリするほどうまい。仲間たちと驚きながら食べた料理……気づいてみれば全15皿。その値段を聞いて驚いた。一人何と3500円! 最後の最後に、これが「奇跡の晩餐」であることを知った。 
別館であのレベルなのだから、本店はどれくらい凄いのだろう? 自宅に戻ってすぐにネットで調べたところ、そこは“ちゃんぽん”の名店であることを知った。楽天でお取り寄せもあるほど。本店はちゃんぽんで、別館は中華で、それなのに店名は「ロンドン」……その謎を解くべく、もう一度八幡浜への食旅行を考えている。
×月××日
帰京してもなお「ロンドン」のことが頭から離れない。ロンドン、ロンドン……と考えているうちに、無性に「コンラッド東京」のメインダイニング「ゴードン・ラムゼイ at コンラッド東京」に行きたくなった。ゴードン・ラムゼイ氏は、まずいと評判だった都市、ロンドンの食レベルを一気に押し上げた三ツ星シェフである。確かにロンドンのレストランの中では抜群にうまい。日本進出を楽しみにしていたのだが、3年前のオープン時は思ったほど評判にならなかった。
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| コンラッド東京の「ゴードン・ラムゼイ」は、ロンドンの本店と同じレベルになったようだ。 |
久しぶりに行ってみると、料理、サービス共にオープン時よりも格段に良くなっているような気がした。聞けば最近、料理長が日本人に変わったらしい。かつて本店の厨房にいた前田慎也さん。軽やかなソースと、食材を重視した調理法が日本人の感性に合っている。東京店は2009年度版のミシュランで一ツ星を取ったらしいが、ロンドンの本店は三ツ星。正直、そこまで味の差はないように思える。ロンドン基準で採点すれば、東京はぶっちぎりで三ツ星最多の都市になるだろう。
×月××日
脚本を担当した『おくりびと』が幸いにしていくつかの映画賞を受賞。そのお祝いに「おいしいものをご馳走しますよ」という嬉しいお誘いが、音楽プロデューサーの松任谷正隆さんから来た。しかも自宅でとびっきりの料理を自ら作ってくださるという。以前も松任谷家で炭火バーベキューをご馳走になったことがあったが、それはそれはうまかった。食材はもちろん、道具、炭に至るまで、趣味人ゆえのこだわりを持っていらっしゃる。
さて、今回は何が出てくるのだろうと楽しみにしていたら、1週間ほど前になって「何か食べたいものはありますか?」と質問された。何とはなしに「カレーが食べたいです」と言ったのだが、これがいけなかったらしい。松任谷シェフの料理人魂に火がついてしまったのだ。
たかがカレー、されどカレー。仕込みが始まったのは、実にパーティーの3日前。趣味人のシェフは大量の牛肉を買い込み、フォンを作ることから始めた。レコーディング作業を中断させては灰汁(あく)をとり、鍋の具合を調えてから再び仕事に戻る。フォンが完成したあとはスパイスの調合(その詳細は「企業秘密」とのことで教えてもらえませんでした)。そんな日が続けば奥様がイライラしてくるのも当然である。カレー作りがきっかけで夫婦喧嘩勃発寸前までいったらしい。
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| 高級ステーキ肉がゴロゴロ入った松任谷さんのカレーは、ずるいくらいに旨かった。 |
かくしてシェフは3日を費やし、秘伝のビーフカレーを完成させたのである。当日、おじゃましてキッチンを覗いたところ、カレーと聞いていたのに大量のステーキを焼いていらっしゃる。フォークの重みだけで切れてしまいそうな、見るからに柔らかそうなA5ランクのロース。
「あれ? 今日はステーキですか?」
と尋ねたところ、「いえ、ビーフカレーです」とあっさり返された。趣味人のシェフはこれらの牛肉を惜しみなくカレー鍋にぶちこもうというのである。
そしてついに対面の時が訪れた。ステーキ肉がゴロゴロ入った超贅沢カレーと、別添えの野菜たち。ライスかナンを選択できるようになっている上、福神漬けやピクルス、レーズン、チャツネまで用意されている。期待に胸を膨らませて食べてみると……ずるいくらいにウマイ! フォンの複雑な旨味と癖になりそうなスパイスが見事に調和。甘いけど辛くて、辛いけど旨味が凝縮されている。結局……ナンで2杯、ライスで2杯、合計4杯のカレーを平らげてしまった(カレーのおかわり自己最高記録です)。
これはすぐに僕がプロデュースしている「東京カレーラボ」の正式メニューに……と思ったのだが、それは絶対に不可能だということが分かった。何しろ材料費が半端ではない。フォンをとるための牛肉代だけで数万円。計算してみたところ、一皿あたり1万円かかっているのだ。
しかしこのカレーを世に出さないのはもったいない。そこで僕は考えた。会員制の超高級カレー店として暖簾分けするのである。名前も決めた。「家系ラーメン」に対抗してこちらは「谷系カレー」。谷系カレーの総本山はもちろん「松任谷」。弟子入りした者たちが「武部谷(たけべや)」、「鈴木谷(すずきや)」といった具合に一皿数万円のカレー店を開いていくというシナリオ……どなたかご興味のある方がいればぜひ!(と師匠に無断で募集してみました)
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小山薫堂さんのオフィシャルサイト「N35」はこちら!▼ http://www.n35.co.jp |
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