築地、魚河岸、旬ばなし [60] 文・福地享子

江戸前アナゴは夏が本調子。暑さとともに旨くなる

 
 
文・福地享子
イラスト・坂木浩子
 
 

「どうだ、ツラからして江戸前は違うだろ」
 河岸にきたばかりのころ、番頭さんがアナゴを割きながら、よく言っていた。
 アナゴは河岸で割いて納めることもあり、番頭さんのその仕事を飽きることなく眺めたものだ。まだニョロリ蠢(うごめ)くヤツのアゴあたりを目打ちでまな板に固定し、背から包丁を入れて開き、内臓をすきとり、骨をはずすまでが河岸での仕事。番頭さんは癖なのか、首を右に少し傾け、手にすっぽり入るほど小さな出刃を握り、出刃の動きに合わせて右に左に上半身を揺らす。優雅と形容したくなるほどのその動きは、生き物を殺生するといった残酷さを、はるかに超越していた。
 不思議なことに、江戸前アナゴというヤツは、割いてしばらくおくと、皮の色に黒い照りが出てくる。まるで水で濡らした漆の黒椀のように。これも番頭さんの自慢で「皮の色からして、きれいだよな」と。

 あれから10年。仕事で子安や小柴のアナゴ漁師さんに会う機会がふえ、江戸前アナゴがどこまでウマイのか、試してみたくなった。
 対抗馬は、常磐、対馬、韓国産。いずれも河岸で広く流通しているものだ。一対一の対決とし、勝負内容はあくまでスッピン、割いたものを、ゆでるだけ。フツフツ煮立ったお湯に入れ、中火で10分ほどゆでたら引き上げ、口に入れる。山葵もつけぬ、醤油もなし。一日一勝負、慎重をきしての再対決も含めての2週間。梅雨の時期で、匂いが台所にこもり、夫のうんざり顔には手を焼いたけど。
 結果はというと、スッピン勝負は手厳しかった。これほどまでに差がつくとは。江戸前の大勝利。ふっくら柔らかで、トロリと口に広がり、ウマミの余韻もみごと。おいしいと思っていた常磐産ですら、「アレ、どうした」である。マグロでいえばトロと赤身ほども違う。もっとも、常磐産が本調子となるのは、秋口に入ってで、時期的には、はなはだ不本意だったろうけど。

 調子にのって江戸前頂上対決も。神奈川県側、千葉県側の漁場で比べると、神奈川県側のモノが僅差だけど、脂がのっている。
「千葉産のアナゴは、天ぷらにいい」と、河岸でよく言うが、なるほどである。
 節分が過ぎると、シラウオに似たアナゴの稚魚ノレソレが河岸に入荷する。そのころ、東京湾にもノレソレが南の海から泳ぎつく。産卵場所は琉球列島付近とされるが、実態はよくわかっていない。ともかくも東京湾の海底で、彼らは貪欲に餌を食べ込み、成長する。アナゴの顔は、キョロリ丸い目のおどけ顔だが、口には牙のような鋭い歯。グサリ噛まれたら、痛いのなんの。かように鋭い歯で、甲殻類にイカに小魚になんでもござれ。どえらい肉食魚、これぞウマサの秘密である。
「東京湾は、餌がいい」
 お目にかかった江戸前アナゴ漁師さん、すべてが口にした。荒廃が心配される東京湾だが、餌はまだまだたんとあるらしい。
 しかし、やっぱりねぇ、東京湾。ある日、子安の漁師さんとこへ行ったら、250キロという大漁なのに苦笑い。
「先週は、たったの4尾だったんだよ」
 そりゃまたどうして?
「酸欠のとこに仕掛け、かけちまった」
 夏の東京湾の海底には、エアポケットのように貧酸素塊が生じる。アナゴは、けなげにも賢くも、そこをよけて暮らしているのだ。

 その仕掛けとやらは、直径15センチほど、長さ70センチばかりの筒状のもの。餌にイワシやイカを入れ、漏斗(じょうご)状のゴムのふたをする。そして海に沈める。餌につられてこの筒に入ると、もはやアナゴは出られない。ま、人間さまのほうがやっぱり知恵はあるってもんで。
 筒の数は、一つ船で数百本。大量の筒を海に放り込むので、他の漁がないとき、つまり出漁できるのは週2回。河岸への入荷も、月曜、木曜の週2回が基本となっている。
 漁自体は年間通してだが、ハイシーズンは夏。今年の江戸前アナゴ、出足は好調のよう。

 
 

[今月の魚]

カキの生食が日本に広がったのは、東京オリンピック以降、外人さんが広めた。そんなわけで、夏用生食の岩ガキ。需要が増えたことに合わせ、最近は養殖の岩ガキの入荷も多い。天然モノ好きの日本人だが、養殖岩ガキ、けっこう評判がいい。大きさがそろっているし、身の入りも充実。流通の温度管理もしっかりしている。これからは、岩ガキも天然から養殖モノへと移行していくのだろう。


アナゴには、独特の呼び名がある。腹と背をわけるあたりに、白い斑点がポツポツと均等に並んでいるところから、さお秤の形になぞらえ「ハカリメ」。棒のように大きいアナゴはボッカアナゴ、小さいものはメソッコ。今でも河岸でときおり耳にする。
 
 
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