築地、魚河岸、旬ばなし [59]
シンコの始まりは、寿司屋の新学期
シンコのシーズンが始まっている。
「シンコの始まりは、寿司屋の新学期」と、あるお寿司屋さん。さすがですねぇ。
シンコはコノシロの稚魚。体長5センチばかし、小ブナもどきのシンコの成長はめざましく、お寿司屋さんや築地市場では、大きくなるにつれ、コハダ、ナカズミ、コノシロと呼びわけている。もっとも、コノシロは寿司には大きすぎて、市場での流通も少ない。扱う者にとっては、コハダの稚魚、という感覚だ。寿司ダネに天然を求めれば、季節によって変わるが、コハダはシンコに始まり、ナカズミに近い大きさの入荷まで、1年のサイクルがある。途切れることなく向き合う1年、単に注文の仕分けをするだけの私ですら、やれ大きくなった、脂がのってきたと、おりおりの感慨に誘われる。実際に仕事するお寿司屋さんとなれば、その想いはいかばかりか。新学期、心にしみる言葉である。
コハダは江戸前寿司、伝統のタネである。
江戸前の寿司が誕生したのは、1820年代、文政年間といわれる。背景を支えたのは江戸前の海。当時の江戸前の海というと、深川から品川までの小さな海域を言ったが、隅田川など大きな川が流れ込み、小魚の好む洲が広がり、コハダはいくらでも湧いた。焼いて食べてもいいが、酢で締めるとなんたってうまい、おまけに安い。屋台という小商いで発展をみた寿司にとって、コハダが欠かせないタネになったのは、当然のことだろう。
今もコハダはなくてはならないタネ。まれに入荷が極端に少なく、早々に売り切れてしまうと、お寿司屋さんの顔色が変わる。
「エーッ、カンベンしてくれよぉ、寿司屋にコハダがなくってどうする?」
伝統は脈々と続いている。
しかし、ちょっとお待ちよ、コハダである。
かつてはシンコなぞ、鮮度落ちが早く、商売の対象にはなりえなかった。シンコが騒がれるようになったのは、戦後のこと。それも東京湾のものに限ってのことだから、市場に出てくるのはほんの2.3週間、と、30年代に寿司を握っていた方から聞いた。今では、産地を追いかけ、シンコのシーズンは3カ月近く。年明けに入荷をみることすらある。
コハダについては、保存ができるタネという傾向が強く、塩も酢もしっかりきかせたものだ。しかし、さまざまな産地、東京湾はもとより、佐賀県や熊本県、愛知県といった主産地に加え、石川県、秋田県や宮城県までも新産地として登場した今、保存性など考える必要はまったくなくなった。
昔と今では、チットばかし違う。
しかしコハダの変わりようなぞ、蚊のクシャミほどの現象、寿司全体、大きく変化した。
たとえば寿司ダネのバリエーション。
江戸時代の終わり、当時のあらゆる風俗を書き残した喜田川守貞というひとが、寿司ダネについても言及している。
マグロ、刺し身、アナゴ、コハダ、シラウオ、カスゴ、クルマエビ、のり巻き、卵焼きがそのすべてである。
お好みの場合、2カンつけるという習慣は、タネの種類が少なくて、お腹をいっぱいにできなかったから、という説がある。今は、1カンずつでも食べきれない。それどころか新たなタネの探求は、絶えることがない。この数年、イワシがとれなくなったと思ったら、生ニシンが台頭。カラスミ用のボラコの入荷がさかんになり、一昨年あたりからは、生っぽいカラスミが人気の座を狙っている。
屋台からカウンター、さらには回転寿司へ。高級寿司の代名詞だった床店のお持ち帰り寿司は、軽便なテイクアウトスタイルに。
大小のことがら、なにをとっても同じではない。しかし、変貌しながらも、伝統というイメージ、その軸にゆるぎはない。そこに、時代にあらがうことなく生きてきたしたたかさを感じる。伝統という衣をまといながらも、実はいつも新しいのである、寿司は未来を見たい、食べたい。
[今月の魚]江戸小話に、さるお宅に太刀を持った押し込み強盗が入った。怖がる家人をしりめに、向かっていったのは猫。実はその太刀、タチウオだったとさ。確かに銀色に輝くその姿は、名刀顔負けだ。白身でクセのないうま味、骨離れもよく食べやすく、人気は上々。真価を最も味わえるのは塩焼き。鮮度がよければ刺し身もいいが、昆布締めがうまい。また寿司ダネとして炙りスタイルも注目の一品だ。 |
梅雨入り前、試験操業の小柴のシャコが入荷。江戸前寿司のブランドシャコとして名を馳せた小柴のシャコだが、2000年代に入って激減、今は禁漁中である。試験操業のため、ほんの少しの入荷だったが、身に厚みがあり、うまみも濃い。復活が待たれる。
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