小山薫堂の一食入魂 [86]
「好きな野菜を好きな調理法で好きなだけどうぞ」。
その旅館の食事で体がきれいになる気がした
人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡

男は、湯布院で朝採りの地野菜に感動し、阿蘇で地の蛤に感激し、
日本人に日本のおいしさを再発見させるのは
全国各地の旅館なのかもしれない、と思うのであった。
×月××日
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| 「田乃倉」では、どーんと運ばれてくる朝採りの野菜と調理法を選んで食べられるのだ。 |
東北から九州まで、今月は何かと旅館に泊まることの多いひと月だった。日本のレストランがこの十数年で劇的に進化したように、旅館の料理もまた随分と良くなっていると思う。昔は夕食を足し算で考えるところが多かった。派手な食材をこれ見よがしに積み重ね、見た目重視のご馳走を並べる。いわゆる“ハレの料理”が多かった。しかし最近のいい宿は違う。日常の究極を目指すところが増えたのである。
例えば、湯布院の「田乃倉」という旅館で一番の目玉として出てきたのは野菜だった。地元で朝採りした野菜を籠に盛りつけて、仲居さんが客室まで持ってくる。そしてこう言うのだ。
「好きなお野菜を、好きな調理法で、好きなだけどうぞ」
これはもう、相当なご馳走ですよ。アスパラを1本はそのまま生、1本はバター焼きで。キュウリは味噌をつけて丸かじり。トマトはもちろん塩でがぶりッ。新玉ねぎは半分をスライス、もう半分を椎茸と共に天ぷらにしてもらった。いいお湯にゆっくりと浸かったあと、こういう料理を食べると体の中がきれいになっていくのがわかる。
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| 「界ASO」では、イカのステーキ(上)、そして地蛤のすまし鍋(下)の奥深い味に感動。 |
阿蘇山の山並みを一望できる「界ASO」の夕食センスも素晴らしかった。本来メインディッシュになりそうなステーキを、あえてコースの中程にもってくる。そこには、満腹になる前に自信作を食べてほしいという料理長の意図があるらしい。しかも壱岐牛のステーキか、珍しいイカの白子を添えた佐賀県産の紋甲イカのステーキのどちらかを選べるのである。
そしてコースのクライマックスに登場したのは、地蛤のすまし鍋。シンプルにして奥が深い幸せな味。さらに、プリプリの蛤を食べ終わったタイミングで、阿蘇高菜のとろろめしが出てくる。これに、あえて残しておいた蛤の出汁をかけてお茶漬けにすると、う~ん、思い出しただけで唾が出るくらいにうまいのですよ。
こういういい宿に泊まると、「ニッポンはうまいなぁ」と改めて思う。食の自給率が下がっている昨今、日本人に日本のおいしさを再発見させるオピニオンリーダーは全国の旅館なのかもしれない。
×月××日
故郷の熊本県天草市に里帰りする。いつもなら福岡から飛行機でひとっ飛びだが、今回はあえてレンタカーで実家を目指した。なぜなら、その陸路の途中にどうしても行ってみたい店があったからだ。子供の頃、親戚のおじさんに一度だけ連れて行ってもらった漁村の食堂。そこで食べたちゃんぽんが妙にうまかった。記憶の片隅にひっかかっている思い出の味。あれを今一度、味わいたくなったのである。
とはいえ、店の場所をはっきりと覚えているわけではない。名前も忘れてしまった。そもそも、まだ存在しているのかさえもわからない。小さな漁村の港の前にぽつんとある大衆食堂だった、程度の記憶を頼りにレンタカーでそれらしいところを走り回り、そしてついに見つけてしまった。
天草の美しい島々を見渡す小さな入り江。その鄙(ひな)びた港にしがみつくように、そこは残っていた。
「大空食堂」……まるで高倉健主演の映画に登場しそうな店構えである。看板の文字から察するに、やはりちゃんぽんがここの名物らしい。おそるおそる入ってみると、漁師さんと釣り客でごったがえしていた。ちゃんぽん以外にも惹かれる料理はあったが、よそ者であることを悟られると居心地が悪くなる。いかにも常連客のふりをしてメニューに目を通すことなく「ちゃんぽん、一つ」と頼んだ。
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| 故郷の思い出の食堂は健在であった。30数年ぶりのちゃんぽんは予想外の量であったが……。 |
が、運ばれてきたちゃんぽんを見て、思わず声をあげてしまった。何だ、この量は! 山盛りとはまさにこのこと。箸をつけても、具が多すぎてなかなか麺まで辿り着かない。しかも、天草産の大正海老が殻付きのまま10匹近くも入っているではないか。これで630円……安い、安すぎる。
そしていよいよ、口に運んでみる。スープのうまみがしみ込んだキャベツと、殻付きのままバリバリ豪快に食べる海老の食感。太いちゃんぽん麺が濃い目の味付けに似合っている。そうそう、こういう味だった。決して洗練されているわけではないけれど、“お客さんにおいしいものを食べさせたい”という想いが込められているような料理。地元の人たちに愛されている様子が伝わってくる。
三十数年ぶりに味わったちゃんぽんは、自分を優しい気持ちにさせる味だった。
×月××日
銀座で映画を見たあと、月島へ向かう。この街に行くと、なぜか“食のはしご”がしたくなる。まずは焼肉酒家「傳々」の高矢俊之さんが支店をオープンさせたと聞き、大好物のホルモンを目当てに行ってみた。その名も「傳々分家」。惚れ惚れするくらいに美しいホルモンに細かく刻んだ味付けネギをのせ、片面だけ焼いて食べる。これはもう、芸術品的なうまさである。本来なら、ここで完結したいところではあるが、グッと我慢してすぐ近くの「1と8」へ。カウンター10席とささやかな個室だけの、長屋を改造した和食屋。友人の大西一平さんが趣味で始めたこの店も、もう3年目に入った。ほとんどメディアに登場することなくひっそりと営業しているが、いつ行っても満席の人気ぶり。その理由は明らかだ。一応、何となくメニューはあるものの、用意してある食材を客が自由な調理法でリクエストできるのである。
「餃子を2個と、ホルモンの串焼きを1本、お造りは中トロと鮃をふた切れずつ。それからニンニクの素揚げも。最後は、梅を入れた焼きおにぎりにかつお出汁をはってお茶漬けにして食べたい。海苔と山葵、多めにつけてね」
と、こういう客の暴挙が許されるお店だから、居心地が悪いはずがない。
そう言えば、「1と8」が「月島ホルモン」という名前で大阪に進出したそうだ。究極のホルモン鍋と串焼きを売り物にしているのだとか。ホルモンの激戦地に、ホルモンで殴り込みをかけるとは相当自信があるに違いない。今度大阪に行ったら、立ち寄ってみよう。
「大空食堂」
熊本県上天草市大矢野町登立4823 TEL.0964-56-1179
「傳々分家」
東京都中央区月島3-8-9 TEL.03-3534-8929
「月島ホルモン」
大阪府大阪市鶴見区鶴見1-6-136 パチギンペールイエロー2階 TEL.06-6915-8666
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