築地、魚河岸、旬ばなし [51]

冬牡蠣が登場。カキ名人の
ジッチャン大活躍の季節到来

 
 
福地享子 = 文坂木浩子 = イラスト
 
 

 マグロをおろして50年、エビを扱って半世紀、アナゴを裂いてウン十年。河岸には、熟練のお宝仕事師がたくさんいる。表に出ることは少ないが、長靴と前掛け姿の背に隠されているのは、今と昔を紡ぐ歴史だ。

 たとえば、カツマタのジッチャンだ。

 ジッチャンは、昨年、うちの店に入ったが、「オフクロの形見」という糠床を河岸に持ち込み、店の衆のお弁当のおり、漬けたキュウリやナスをふるまうことを楽しみにしている。

「糠みそは、毎日2回、かき回してやらねえとな。これでキュウリだったら、明日の朝3時に漬けて、8時に出すと食べごろだ」

 仕事を終えたジッチャンが、糠床の手入れをしながらの糠漬け談義に、私がじっと付きあっていたのは、明日もまたキュウリの1、2本を、という魂胆からだった。

 そのうち、突然、ジッチャンは眉をちょっとしかめ、ボソリと言った。

「いやだね、鈴虫ってのは」

 残暑厳しい9月の半ばだった。鈴虫の音は、猛暑が遠のくうれしい兆しのはずだが。

「夜、ふとんの中で鈴虫の声聞くと、ゴキブリに背中をゾロゾロ這われてるみたいだよ」

 鈴虫がゴキブリ?

 謎は、次のひとことで解けた。

「もうすぐカキが始まるだろ」

 やがて始まるカキのシーズンを前に、仕事の段取りもろもろを考えては、寝つかれない毎日が続いているのだった。

「まぁ、毎年のこったけどさ」

 カキの神様と噂されるそのひとが。胸にガツンと響く言葉だった。

 ジッチャンは、昭和30年、15歳で浅草の貝類問屋の小僧になった。実は築地市場で本格的にカキを扱うようになったのは、昭和も40年代に入ってのこと。それまでは、町なかの貝類問屋が一手に扱っていた。

「東京でもカキはとれたんだよ。深川、大森、生麦とね。あすこは、カキの養殖をするひとがいたからな。今、フジテレビのあるお台場あたり、いいカキがとれたんだから」

 しかし、いかんせん量は少なく、当時、主流となっていたのは宮城県の松島産だった。

「たいへんな時代だったよ。松島へ注文するったって、市外電話は、いつ通じるかわかりゃしねえ。電報だよ。それだと30分で届くからね。間に合わねぇと、車借りて取りにいく。車ったって、外車っきりないんだから。オペルやヒルマンだよ。それぶっ飛ばして、暴走族だよ、4時間で松島に着くんだから」

 扱っていたのは、もっぱらむき身だったが、そのうちセルと呼ぶ殻ガキが登場してきた。

「東京オリンピックや大阪万博で、外人さんがきて、食べるようになったんだね。海のミルクだなんて、言いだしてさ。セルは三重の鳥羽で始まったから、売れたのはどうしたって産地が近い神戸や名古屋が早かった。東京はその3、4年後ってとこだったかな」

 鳥羽に続いたのが三陸地方。今の河岸には、北海道は厚岸(あっけし)やサロマ湖、昨年からは兵庫や長崎産など、さまざまなセルが入荷している。白ワインに合うとかで、好評のようだ。カキの養殖は江戸時代に始まり、私たちは古くからカキを食べていたが、白ワインに生ガキなぞという味を覚えたのは、ジッチャンのカキ人生のなかでは、つい先日のことなのだ。

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 10月1日。例年どおり、河岸の冬ガキの販売が始まった。河岸では自主規制で、冬ガキを扱うのは、この日からと決まっているのだ。

 ジッチャンの顔色は、このところすこぶるいい。朝は2時起きで、セリ場を回り、カキを仕入れてくる。

「相場を出しても、買いたいのは、そうだなぁ、岩手県陸前高田の広田湾、大船渡(おおふなと)市の赤崎、末崎産。好きだねぇ、アタシは。身の入りもいいし、むき身の仕事がていねいでね」

 むき身については、なにがなんだかさっぱりわからないので、聞いたら、そんな答えが返ってきた。ちなみに、ジッチャンの糠漬けは、キュウリから大根へと変わった。

[今月の魚]
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シーズンが始まったカキ。河岸もシーズン早々は、ご祝儀相場で高めだったが、それも落ち着いた。さて、カキには生食用と加熱用がある。加熱調理にも生食用を使う人がいるようだけど、加熱調理するなら、やはり加熱用を。生食用は、そのために雑菌処理がしてあり、その過程で身がどうしてもやせてしまう。また生食用の賞味期限切れを加熱調理に使うのも、避けたい。

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流通上では、殻付きの冬ガキをセルと言い習わしている。貝殻のことを英語でシェルと言うから、欧米風に殻付きの生ガキを食べるようになってから使い出した言葉ではないだろうか。しかし、誰がどこで言い出したかは不明。

 
 
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