小山薫堂の一食入魂 [78]
閉店した洋食屋は息子が加わって新装開店。
メニューも味もそのままでうれしくなった
- 人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡

記憶の奥底から甦る昔懐かしい味に感動し、
自分の中に焼き芋ブームが到来するのを感じたのであった。
×月××日
季節がめぐるたび、旬の妙味に出合うことができる。そしてそのたびに、日本の四季に感謝したくなる。
今年の秋は、「焼き芋」にハマってしまった。突如、自分の中に焼き芋ブームが巻き起こるきっかけを作ったのは、築地に出ている一軒の焼き芋屋台だった。

- 幸福を感じる壺焼きの焼き芋を売る鈴木隆吉さん。今回の題字は鈴木さんに書いていただいた。
リヤカーを改造したその焼き芋屋台は、決まって聖路加国際病院の前に出ている。リヤカーをひいているのは鈴木隆吉さん。えびす様のような顔は、ホクホクの優しい味に重なる。見た目は「おやじ」だが、実は八十の「おじいちゃん」なのである。
鈴木さんは10年ほど前まで築地の市場で働く“河岸の男”だった。終戦直後、故郷に戻る前に鹿児島で壺焼きの焼き芋に遭遇。そのあまりの旨さが忘れられなかった鈴木さんは、魚から芋に鞍替えして、もう一度働いてみたくなった。そしてしばらく壺焼き名人のところで修業したのち、息子たちの大反対を押し切って、焼き芋屋として人生の再スタートを切ったのである。
8月に1カ月休むが、鈴木さんは夏も焼き芋を売っている。8月に休む理由は、いい芋を仕入れられないから。
一流の寿司職人が自ら築地の市場に毎朝足を運ぶように、鈴木さんも自分が焼く芋を野菜市場まで仕入れに行く。自分の目で選んだいい芋だけを仕入れて自宅に戻り、炭を熾こす。炭の火加減を決めるのは風である。鈴木さんは風向きをみながら、さりげなくリヤカーの向きを変えている。一本の芋を焼くのに費やす時間は2時間。毎朝3時半に起きて仕事を始める鈴木さんは、朝10時にようやく最初の焼き芋を売り始めることができる。
鈴木さんの焼き芋は、芯まで絶妙に火が通り、自然の甘さが最大限に引き出されている。それは例えるなら、記憶の奥底をかきむしる昔の味。口に含むと何とも言えない幸福感に包まれる。
「一本一本、丁寧に焼かないと、芋が怒るんだよ。少しでも楽しようとすると、オヤジ、何やってんだ! ちゃんと焼け、ってね」
ちなみに、鈴木さんの焼き芋は100g130円、つまり一本およそ400円前後と安い。屋台がどんなに大繁盛しても、原価を考えれば一日の儲けは数千円にしかならない。
「もっと高く売ったらどうですか?」
と言ったら、えびす様の顔が少しだけ険しくなった。
「たかが芋だよ。安くて旨いのが芋のいいところなのに、それを高くしたら、芋の良さがなくなるだろ」
×月××日

- 新装開店した「洋食 大越」。フランスで修業した息子も厨房に入ったが、以前と変わらぬメニューと味でうれしくなった。また大好きなハンバーグが食べられる!
麻布十番に「洋食 大越」という洋食屋があった。東京オリンピックの前年に開店したという家族経営の小さな店で、常連の大半はタクシーの運転手さんたち。僕はここの、極太スパゲッティ付きのハンバーグが大好きだった。
去年、その大越が突然取り壊された。ビルに挟まれた二階建ての一軒家だったので、地上げされたに違いない。空き地には移転案内も出ていなかったので、あのデミグラスソースはもう二度と味わえない……と諦めていたら、何と真新しい建物になって、新装開店していた。
しかも、フランスのレストランで修業したという息子が加わり、厨房が父子二人体制になっている。狭い店内は昔のまま。メニューも味も変わっていない。
「いくらフランス帰りでも、息子はまだ、お父さんにメニューをいじらせてもらえないんです」
とお母さん。都心の超一等地ということで、上をマンションや貸しビルにしないかという誘いもあったが、きっぱり断ったという。
「それをやったら違う仕事が増えるでしょ? ウチは洋食屋だから」
いつものハンバーグを食べながら、こういう店に通い続ける喜びを、改めて噛み締めた。
×月××日
年に一度、体がダイエットを要求してくる時がある。まさに今がその時期である。原因は明らかだ。今年の夏、事務所に「オレンジのバイテン」というパン屋を作った。仕事中、いつでも小腹を満たせるように、事務所の受付スペースをパン屋にしたのである。

- 「亀松閣」の松茸と山形牛の焼き物。東北一の誉れ高い名料亭だけあって実においしそう……。
東京駅前にある大好きなパン屋「みんなのぱんや」からジャムコッペや焼きそばパンなど、懐かしい味を仕入れ、さらに日光金谷ホテルのカレーパイを焼いて売る。自分の机から歩いて3秒のところにパン屋があるなんて、夢のようだ……と、いい気になって毎日食べまくっていたら、すっかり体重が増えてしまったのだ。
このままではいけない! と不安になった矢先、某モデル事務所に勤める友人が「心臓外科医が実践している脂肪燃焼ダイエット」なるものを教えてくれた。これは渡りに船……と、ばかりに飛びついたのだが、その方法が一風変わっている。果物や野菜を中心にして1週間それをきっちり行えば、確実に5kgから8kg痩せられる、というふれこみ。僕はそれを信じて、ダイエットを始めた。
未だかつてない空腹感と格闘しながら迎えた4日目。山形出張に出かけた僕は、地元の名士であるY氏から東北一の料亭と名高い「亀松閣(きしょうかく)」に招待された。そもそもは明治天皇の御宿としてつくられた名店である。京都「瓢亭」で腕を磨いた主人は、“松茸と山形牛の焼き物”や“究極の芋煮汁”など、全力投球で僕に勝負をかけてきた……のだが、あまりにもタイミングが悪すぎる。確実に旨いこれらの料理を口にした瞬間、これまでの苦労が水の泡と化すのである。失礼極まりないことを承知で事情を話したところ、主人は急遽、野莱スープを作ってくれた。罪悪感いっぱいで味わうこのスープの、これまた何と旨いこと! その旨さは、松茸や山形牛の誘惑を見事に撃墜してしまった。

- しかし、ダイエット中の身。事情を話してつくってもらった野菜スープが実においしかった。
が、この3日後……人生を賭けたダイエットは、予期しない結末を迎えることとなる。そのダイエット方法は、何とネット上のデマだということが判明したのである。痩せるどころか、リバウンドの危険性が極めて高いという。
様々な誘惑を断ち切ってきたこの1週間はいったい何だったのか? 松茸と山形牛を見過ごした自分の愚かさに、愕然となった。ただ、今回一つだけ、大きな収穫があったことも報告しておきたい。ソクラテスの名言に心の底から共感できたことである。
「空腹は最良の調味料である」
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「洋食 大越」 東京都港区東麻布3-4-17 TEL.03-3583-7054 「オレンジのバイテン」 東京都港区麻布台1-11-10 日総第22ビル1階 TEL.03-3560-3725 「亀松閣」 山形県山形市薬師町2-8-81 TEL.023-631-3644
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