築地、魚河岸、旬ばなし [49]

河岸の大将は鍛え方が違う。
小僧時代の苦労も今は昔話

 
 
福地享子 = 文坂木浩子 = イラスト
 
 

 ウチの店の大将は、昭和27(1952)年、河岸のひととなった。昭和16年、戦争による国策で仲買人制度が廃止され、復活したのが25年。河岸に威勢のいい、あのセリの声が戻ってまもないころである。

「当時の仲買(現仲卸)の店なんてのは、まぁ、どこも小さくて。仲買の数1600以上。今のざっと倍さね。一店舖の区画を2軒で使うことも珍しくなかった時代だよ」

 昔を思い出す大将。19歳、『濱長商店』でサダオと呼ばれる小僧時代が始まった。

「あんだけの数で商売できたのも、専門店形式っていうか、タイラ貝だけ、赤貝だけって具合に、単品の商いでもやってけたんだね」

 サダオの店は、寿司ダネも扱ったが、なんといっても江戸前のキス、メゴチ、アナゴ、ギンポ、白魚など天ダネが看板商品だった。

「明治生まれの親方(主人)、長吉は白魚名人で、こればっかりはだれにも触らせない。2貫目だかの箱に入ってきたのを箸でそっとつまんでは、経木の小さな箱に移すだろ。そんで『稲ぎく様』『天國様』とか、札に得意先の名を墨で書いて、箱に付けんだね」

 長吉さんは佃育ち。江戸時代から佃は白魚で知られた地。思い入れが深かったのだろう。

「あと親方は、腕組んで帳場の横に立って睨みをきかすってかね。今みたいにワサワサ働かねえ。客の相手だけ。ま、小僧が魚すすめたって、客に『バカヤロウ、百年早いわ、オレの目が選ぶんだ』って、怒鳴られんのがオチ。だいたいが客や親方の前で、小僧なんてのは虫ッケラだったな」

 時計が8時40分をさすと、朝一番の列車で千葉県の富津や大貫海岸、勝山から背負い子に小魚や貝を担いだ荷主さんが店に到着する。荷が多い日は、前日に決まって南の風が。

「南風が吹くと、千葉方面に魚が揚がる」とサダオはこのとき、長吉さんに教えられた。

 西風が吹けば、神奈川方面。長吉さんがサダオに言う。「今日あたり、小柴にシャコが揚がってるはずだ。取りに行ってこい」

 食事もろくすっぽとらず、新橋からの電車に飛び乗り、50キロからのシャコを担いで帰る。今のような卸会社から仲卸へという荷の流れのほか、仲卸は浜の荷主(問屋)からじかに買いつけることも多かったのだ。

 9時を回ると、そろそろ店仕舞い。しかし、これからがサダオは忙しい。

「客は箱んなかから魚をえって買う。ひっかき回すからな、箱んなか。キスやコハダなんて小魚は、腹に傷がつくだろ。『サダオ、おろしとけ』ってなもんで、親方、番頭は帰っちまう。おろせば売り物になるわけでね」

 大将は惚れ惚れするほどの包丁上手。「魚のおろしなんて、踏んづけたくなるぐらいやんなきや、うまくなんねえ」が口癖だが、それはこの小僧時代からくるものだ。

「終わると売りにいくんだよな、白転車で」

 それだけでも重い木の通い箱に、おろしたキスやコハダもろもろ60キロ、70キロと詰め、まず向かうのは新橋の寿司屋だ。

「寿司常っていって、よく買ってくれたなぁ。ニイサン、置いとけよなんてね」

 売れなければ池袋の寿司屋へ。野方まで足をのばすことも。山手線一周ほどの道のり、舖装のいき届かない道を、照ろうが降ろうが、自転車こいで、売るまでは帰れない。

「辛かったかって? 覚えてねぇや。それよか寿司だよ。行くとのり巻の2、3本もごちそうしてくれて。うまかったねぇ」

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 河岸に寿司屋はあっても、それは親方衆やダンナの聖域。小僧には憧れの場。仕事が終わって住み込みしている親方の家に戻れば、お新香とおみおつけの日々である。

「だからワタシは今も寿司にはいやしいや。腹いっぱい食べなきゃおさまらない」

 思い出話に笑う大将だが、こうした修業は今、河岸で働く60歳代、70歳代の方の多くが通ってきた道。河岸にきた当初、私はお年寄り方の元気なことに驚いたが、鍛え方が違うのだ。頭が下がります。

[今月の魚]
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昭和の30年代頃まで、江戸前物を扱う仲卸の店で、イカといえばスミイカ。寿司屋も天ぷら屋も、それが基本となるイカだった。だから、スミイカだけは新子と呼んで、コハダと同じように初物を珍重する。そのスミイカの新子登場は夏。そろそろふっくら身も厚くなり、甘味も増しておいしくなってきた。

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仲卸も伝票整理などにパソコンを使うことが多くなったが、かつては墨文字サラサラと書きつける大福帳。若い衆は、ソロバンのほかお習字の稽古にも励んだもの。そのせいか、年配の方たちは達筆揃い。

 
 
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