小山薫堂の一食入魂 [73]

流行や斬新さを超越した威風堂々たる
フレンチは、まさに「ザ・レストラン」と
呼びたくなる店だった

 
 
人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡
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男は、かつて夢中になったフレンチレストランに久しぶりに出掛け、
その完璧なる旨さに感動し、20代の自分に思わず嫉妬し、
こうした店とともに年齢を重ねていく幸せを噛み締めたのであった。
 
 
小山薫堂 = 文・写真小澤伸光 = 題字
 
 

×月××日

 2カ月間に及ぶ大規模なリノベーションを終えてよみがえった「アピシウス」に行く。創業25年目に突入したこの老舖グランメゾンは、僕が最初に夢中になったフランス料理店だ。思えばこの店で、料理とワインの楽しさを学んだ。

 そんなアピシウスに、実に10年ぶりに足を運んでみると……変わっているのに、変わっていなかった。全てが新しくなっているのに、そこに流れる時間は何ら変わっていないのである。

 まだフランス料理店の敷居がとても高く感じられた当時の気分で、ドキドキしながらメニューを開く。そこに並ぶ料理の作風は、やはり以前と大きくは変わっていない。ただし、嬉しい変更点が一つ! 今回から全ての料理を半分の量で注文することができるようになっている。これでアラカルトでも、たくさんの皿を楽しむことが可能になった。

 そして肝心の味は……おぉ、うまい! 最近すっかりご無沙汰していたクラシカルなフレンチの見事な完成形。塩加減も完璧だ。思わず、20代の頃はこんなにうまいものを食べていたのか? と過去の白分に嫉妬してしまった。

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「アピシウス」の料理。今月の題字はソムリエの小澤さんにお願いした。

 加えて驚いたのが、ワインの安さである。特に80年代のいい年のボルドーが、今の仕入れ値では考えられないほど安い。おそらく、今、アピシウスのワインリストは日本のグランメゾンで最も安い部類に入るのではないだろうか?

 そして、スタッフの所作や会話、サービスも素晴らしい。彼らの動きは、映画『日の名残り』でアンソニー・ホプキンスが演じた名執事の立ち振る舞いに通じるところがある(マニアックな例えでスミマセン)。

 新しい店が次々とオープンする中、今の流行とか、斬新さとか、そういうものを超越した大人の余裕がここにある。多少のことでは揺るがない、威風堂々とした人格の料理店……一言で表現するなら「ザ・レストラン」なのだ。

 こういう店の常連になり、一緒に年齢を重ねていくことも、また一つの幸せである。

×月××日

 アイスランドの首都、レイキャヴィークで一風変わった日本食と出会う。アイスランドは国の一部が北極圏に属しているまさに最果ての地である。ヨーロッパで2番目に大きな島でありながら、入口は30万人しかいない。こんなところにも、日本食ブームの波が押し寄せているとは思わなかった。

 店の名前は「シーフードセラー」。地元の人の話では、ジャパニーズスタイルのモダンなシーフードがうけて、連日、店は大繁盛しているらしい。

 さて、お手並み拝見と行こう。最初に出て来たのは、密閉式の瓶に入ったマグロのタルタル。コリアンダー風味のさわやかな味付けだが、密閉式の瓶に入っている理由は謎である。

 次に登場したのは、まさに日本の焼き鳥……かと思ったら、焼きカンガルー。肉質はややパサパサしているものの、インドネシアのサテに似た味付けは悪くない。春巻きの皮に巻かれてブルーベリーのソースがかかっているのは、アイスランド名産の鱈。ご丁寧に柚子が添えられている。

 ジャパニーズのようでジャパニーズでない、何とも中途半端な感じが歯痒い。と落胆した矢先、見慣れたものが運ばれて来た。卓上の七輪である。おぉ、これは!……と期待した自分が甘かった。七輪の網の上にはオレンジが乗っている。まさかと思い触ってみると、冷たい。つまり、単なる皿として七輪が使われているのだ。網の上には、マグロのステーキが盛りつけられ、その上には何と揚げ餃子が堂々と鎮座している。

 ここまで来たらもう何を出されても驚かない、と腹を据えて最後の皿を待つ。そして目の前に出されたのは……な、何と、マグロの握り。やればできるじゃないか! 思わず拍手をして、運んで来たアイスランド人の青年と握手を交わす。やや大きめのうまそうなマグロ、だが……ン? 少し様子が変だ。恐る恐るマグロの切り身をはがしてみると、下に控えていたのは、酢飯ではなく“いなり寿司”ではないか! アイスランド人の青年が笑顔で説明してくれた。

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「シーフードセラー」の“日本料理”の数々。下は七輪にのったマグロのステーキと揚げ餃子、左は太巻きと刺身と梅干しの盛り合わせ、左下はせいろに入ったアイスの盛り合わせ。

「まず上のツナに醤油をつけて食べてください。残った下のスシは、そのままどうぞ」

 結局、全ての料理がデタラメな和食であった。しかし、どれもひどくマズいわけではない。いやむしろ、そこそこうまかった。こういう料理を取り締まろうとする動きもあるが、果たしてその必要があるのだろうか?

 少なくとも、アイスランド人の間違いを責める権利は日本人にはないと思う。何せ僕たちは、アイスランド人の祖先、バイキングの名前を「食べ放題」という意味で使っているのだから。

×月××日

 うまいものを求めて、新緑の軽井沢へ行く。ゴールデンウィークが終わり、梅雨入りするまでのおよそ1カ月半が、軽井沢にとって最も魅力的なシーズンであることはあまり知られていない。

 初日の夜は、居酒屋気分で使える和風ビストロ「Ogosso」へ。「オゴッソ」とは、信州の方言で「ご馳走」の意味。この店のいい点は客のワガママを聞いてくれるところにある。この日は、信州のぎたろう軍鶏を使った水炊きを食べた。地下水と厳選した飼料を与えて放し飼いにしているぎたろう軍鶏は、歯応えがあってうまい。そして何より、驚くほど濃厚な“だし”が出る。このだしを味見して、一つアイデアが浮かんだ。醤油を塗って炭火で炙った焼きおにぎりに上等の梅干しを合わせ、白ごまとおかかと海苔、それにおろしたての山葵を乗せ、ぎたろう軍鶏のだしを張る……というワガママな茶漬けだ。これが、ひっくり返るくらいにうまい。嬉しさのあまり、さらにワガママを言って、これをくんどう茶漬け(略してくん茶)と名付け、メニューに加えてもらった。

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「ピレネー」の名物料理は仔豚の丸焼きなど暖炉料理だが、締めにはブイヨンスープに焼きおにぎりを入れた“洋風くん茶”が出てきた。

 翌日の夜は、愛犬家の友人に誘われ六本辻の「ピレネー」へ。ここはワンちゃん同伴で行ける数少ないフレンチレストランの一つだ。名物は暖炉料理で、仔豚の丸焼きという料理までメニューに記されている。9万円という値段がついているが、大人数のパーティー料理と考えれば決して高くない。野菜の塩竈焼きとイタリアの安い白ワインでいい時間を過ごし、最後の〆として“ブイヨン・ド・リ・ブール”なる料理をオーダー。何とそれは、ブイヨンスープに焼きおにぎりを沈めた、洋風のくん茶だった。


「アピシウス」 東京都千代田区有楽町1-9-4 蚕糸会館ビル地下1階 TEL.03-3214-1361
「Ogosso」 長野県北佐久郡軽井沢町長倉1999-1 TEL.0267-42-6339
「ピレネー」 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1181-8 TEL.0267-41-3339
 
 

 

小山薫堂さんのオフィシャルサイト「N35」はこちら!▼
 http://www.n35.co.jp

 
 
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