市場とともに時を重ねてきた
コーヒー屋のお姐さん

 
 
福地享子 = 文坂木浩子 = イラスト
 
 

 築地市場に通って9年。広いと感じた迷宮市場も、今や知らぬとこなぞないと思い込んでいたが……。新たなお茶どころ発見。場所は波除神社のすぐ近く。ドアを閉めてしまえば、乾物や漬物などの店がたてこんだ通りに埋もれてしまうような構え。おまけにお昼前には、はや閉店。8年以上もの間、コーヒー店があるのも知らず、通り過ぎていたのだ。

「ここへお嫁にきたのが昭和23年。築地のぬしみたいになっちゃった」と笑うハツコさんが店のあるじ。大正15年の生まれで、築地圏ともいえる勝鬨橋の近くで育った。

「コーヒー屋を始めたのは、昭和の30年。オトウサンがコーヒー好きで、銀座の店で淹れ方、習ってきてね。私にやれって」

 6脚の椅子に小さなカウンター。オトウサンの手になる当時のままの造作。コーヒーは、白いホーローのポットに淹れ、ユラユラ湯気の昇る金ダライに湯せんにしてある。これも、オトウサンに教わった通りという時間軸を超越したような店。カウンター越しに聞くハツコさんの築地昔むかしの"独演会"が、また遠くへと私を誘ってくれる。

「お嫁にきた頃、ここんちは船宿。東京湾へお客様をご案内してたのよ」

 家の裏には築地川が流れ、桟橋には屋形船がもやっていた。

「うちの姑は、お客様のこと、殿様って言ってたわよ。舟が出るときは桟橋に膝ついて送ってた。いらっしゃるのは大会社の社長さん、ええ、旦那衆。新橋の芸者衆も来たわよ。芸者連れでお涼みすんの。粋よねえ」

 市場で買ったキスやアナゴなどの天ダネを船に積み込み、沖で揚げたてを召し上がっていただくのである。

「きれいだったわよ、築地川も。春になるとハゼやイナッコが群れてんの。アラ、イナッコ知らない? ボラの子よ。イナッコは泥臭くて食べられないけど、ハゼは美味しい。そこの海幸橋で、市場の若い衆なんかが釣ってたわよ。おかずにすんでしょ。夜はそりゃ静かで、新内流しの三味線の音も聞こえてきた。川があるから、音が響くのねぇ」

 築地川も、海幸橋も今はない。川は昭和の終わりに埋め立てられ、風雪に耐えてきた鉄骨のアーチ橋も、私が河岸に通い始めてしばらく後に、撤去された。しかしハツコさんにとっては、つい先日のことらしい。遅ればせながら、店の名前は「網船」。船宿時代の名前をそのまま使っている。

「船宿をやめたのは昭和の26、7年頃。戦前はもっと派手に商売してたっていうけど、贅沢なお遊びする方、なくなっちゃったの」

 川面に注ぐ眼差しは、コーヒー店を始めて通りへと移っていった。

「買い出し人はドウコ、担いでね。ドウコって、ブリキを張った大きな箱で、仕入れカゴなんてちゃちなもん、少なかったわよ。魚屋さんは乗り合いのトラックでほうぼうから買い出しにきた。みんなせわしくて、荒っぽくて。泥棒でもしたら、若い衆が手鉤持って追い回すんで、逆に交番に駆け込んだぐらい」

 高度成長期に湧いていた頃のことだ。

「ホント売れたのよねえ。だから河岸の人、派手でね。歌舞伎座の幕をポーンと寄付しちゃったり、義太夫だなんだって旦那衆のお稽古ごともさかんだったし。新富町といったら河岸の人が芸者あげて遊ぶ場所だったのよ」

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 そんなことしてたら、お店は潰れちゃう、双方笑って、そこらでいつもお開きになる。

 ここでコーヒーを飲んだあとは、よく勝鬨橋へ足をのばす。橋の途中から眺める築地市場。桟橋に活魚を運んできた船がプカリプカリと揺れている。昭和20年の終戦の夏、この桟橋にアメリカ軍の駆逐艦がズラリ並んだとハツコさんが言っていた。市場の施設の一部は進駐軍に接収され、解除される20年代終わりまで星条旗がはためいていた。

 ハツコさん80歳。築地市場もほとんど同い年。さまざまな時を重ねて生きてきたのだと、ちょっとセンチになったりするのである。

[今月の魚]
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 アユのような縄張りを持つ、あるいはアユ並みのうまさを持つから、とさまざまな語源を持つアイナメがそろそろシーズンに入る。活けの売り場では、血まみれでなんだか凄惨な姿だが、おろしてみれば、上品な白身。刺し身はもちろん、照り焼きやソテーなどの焼き物にも最高。木の芽まぶしいこの季節。ほっくり白身に香り漂う木の芽焼きなどもいいですね。

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ミルクコーヒーが名物の「センリ軒」、ブレンドコーヒーの「愛養」、絞りたてオレンジジュースの「日本一」。ここらが場内のお茶どころだが、「日本一」は4月末に寿司屋に変身。これで場内の寿司屋は12軒! 増えました。

 
 
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