春先の旬、聖ペテロの
奇跡の伝説が残るマトウダイ
アラ、マトウダイ! ひさしぶり。
冬から春先にかけての美味しい時期、頻繁に仕入れているマトウダイだが、店先に並ぶことは少ない。理由はその姿。鋭い背ビレ、腹から背には小さなトゲが並び、色は灰色。胸ビレあたりには墨をポタリ落としたような大きな斑点ひとつ。中世ヨーロッパの甲冑をまとった騎士のようだと思うのは私のひいき眼で、今ひとつお地味というか。スペースが限られた陳列台は、やはりアマダイやキンメダイ、赤ムツなどの艶やかな魚に優先権がある。なにせ店の前を通りすぎるお客さまは、せっかち揃い。眼にワッと飛び込むものあらば、足が止まるという具合。ならば赤い魚で派手ばでしく、ここはマトウダイにはご遠慮いただいて、となってしまうのだ。
魚の名前には、それぞれいわれがある。タイはひらべったいからタイ。魚の王様にしては、なんだか物足りぬいわれ方だけど、実はマトウダイはなかなかのもの。
「ホラ、この斑点がさ、弓を射るときの的に似てんだろ。だから的鯛」などと、店先で担当のマッチャンが説明しておりますぞ。
これがフレンチやイタリアンの世界に移ると、サン・ピエール、サン・ピエトロという名となり、さらに壮大な物語が隠されている。
サン・ピエトロすなわち聖ペテロ。イエス・キリスト十二使徒のリーダーで、ローマのサン・ピエトロ寺院に祀られている尊いお方と同じ名前である。
ベニスのリアルト橋たもとにある魚市場、そのまんま河岸に連れてきてもおかしくないチョイ太り、腕っぷしの強そうなオッチャンが教えてくれた。
「ペテロがな、この魚を持って奇跡をやってのけたわけさ。銀貨を口から吐き出させたんだと。そんでもって、ペテロが掴んだ指の跡が、この斑点。名前もいただきってわけ」
このお話を題材にした壁画を見たのはシャンパーニュ地方のマムの礼拝堂。壁全体に藤田嗣治画伯による十二使徒の物語が描かれており、もちろん聖ペテロはあの奇跡の図。手にした魚から、もう銀貨ザクザク。あふれ返ってるというか。景気いいんだわぁ。大画伯の絵に罰あたりなこと、呟いた覚えがある。
こんないわれのある魚だから、ヨーロッパではずいぶんと親しまれているらしい。
パリの「ステラマリス」を訪ねたおり、吉野シェフがニコニコ顔ですすめてくれた。
「今日は、サン・ピエールのいいのが入ったから、それ食べないか」
その料理は軽く焼いたマトウダイとフェンネルとのミルフィーユ仕立てになっており、ペルノーのソースが添えてあった。
ベニスでは、寂しい裏通りを歩いていたら、なにやらもうもうと魚を焼く煙。つられて飛び込んだ「レ・カランパーネ」という店で食べたのはシンプルなグリル。この店は、後に読んだサントリーミステリー大賞をとった『死のフェニーチェ劇場』(文藝春秋刊)にも出ており、作者はベニス在住。魚の美味しい店として登場してたから、私の鼻もまんざらじゃなかったのかも……、ということに。
ベニスでのことも、シャンパーニュもパリも、すべて10年も前の思い出。河岸に来る前のこと。そして河岸に来たら、なるほどマトウダイはイタリアンやフレンチの店へと売られていく。だから、マトウダイはヨーロッパの雰囲気をまとった魚というイメージが強かった。ところが、3年ほど前に金沢の寿司屋で寿司ネタとして出てきたのだ。昆布締めにしてあり、ほんのりピンクがかった身は、香りがよくてどこか色っぽくて。身が締まった白身だから、和洋なんでも受けてたつ懐の深さがあるんですよねえ。
本日も店の裏では、ワサワサ注文の魚の仕分けが続いている。そこに混じってマトウダイも。銀貨ザクザクの物語をのせて。そして、レストランでとびっきりのマトウダイの料理に出会うと、聖ペテロの伝説はこの美味しさゆえに誕生したか、と思ったりしている。
- [今月の魚]

- 殻付きの鳥貝入荷。鳥貝は殻がもろいので長旅は難しく、殻付きで入荷することは稀だった。でも、輸送技術の進んだ今、春から初夏にかけ、殻付きで登場。すこぶる元気。海水のなかで、黒っぽい足をヒュルリのばして愛嬌振りまいている。この足が、鳥貝と称して食用になる。寿司ネタにしても、シャリの上で踊るほど。磯の香りいっぱい。ただ、値段は例年より高め。
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河岸にマンボウ入荷。90kgでキロ150円。おろしてみる。ズリズリの荒い肌。皮は妙に分厚い。身はブヨブヨで1kgばかりとれただろうか。価値があるとされる白モツに似た腸が1kg。身と腸、可食部で考えるとキロ7000円弱。高いのか安いのか。謎めくマンボウであった。
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