頭やアラは捨てればゴミ、
使えば旨い料理に。河岸的ロハス!?
河岸で働き始めて、まもない頃。
その日、店の大将は急な注文でタイのおろしにおおわらわ。勢い余ってタイの頭がゴロリ、まな板から転がり落ちた。私は素早く拾うと、アラの入ったゴミ箱へ。
河岸へ来て、ただちに痛感したことは、気働きの欠如だった。ゆえにこの時の咄嗟の行動には、棒っきれを上手にキャッチしたポチの心境、心中快哉を叫んでた。
ところが「バカヤロウッ」の大音声。注文はタイの身だけ、頭は捨てるんじゃないの?
「あのな、カブト焼きにすりゃ、千円はとれんだぞ。頭は売り物に回すんだ」
店頭に1個100円也で出せば、人気の商品なのだった。頭のありがたみを思い知れと、それからは毎日1個、持ち帰らされた。
確かに、頭は美味しい。カマや頬の肉は、うまみが凝縮し、タイの味はこれに尽きると思うほど。ごぼうといっしょのアラ煮もうまい。だしも、すばらしいものがとれる。料理できぬ日は、冷凍すべし、との教えも受けた。
そして、あれから幾星霜……。
妹がやって来て、冷凍庫をあけるやギャッとのけぞった。タイの頭がゾロリ行列、目をカッとひんむいて、妹を睨んでいたのだ。
私は妹を諄々と諭すほどにはなっていた。捨てればただの生ゴミ。しかし、上手に料理すれば、これほどうまいものはない。ゴミ問題にも貢献している河岸的プチロハスよ、と。
だが、妹は鋭く突いてきましたねぇ。
「でも、ロハスって、消費動向に繋がるってのがポイントでしょ。車をハイブリッドカーに買いかえるとかさ。頭拾ってきて、冷蔵庫にため込んでるのは、ただのシミッタレ!」
私の本質を喝破した妹の勝ち誇った顔。生きとし生けるものを愛おしみ、美味しく食べ尽くすという河岸で育まれた精神をくんでほしいのだが……。ホント身内はやりづらい。
タイの頭だけではない。傷物ゆえ売れないカサゴで作ったアクア・パッツァ。スズキの腹骨でダシをとった吸い物。ヒラメの骨と頭からは、ステキな煮凝りができた。
河岸も、ごたぶんにもれず、生ゴミの量たるやすさまじい。明治の頃は、それもリサイクルできていた。渋谷村あたりから、お百姓さんがやって来て、きれいさっぱり持ち帰り、肥料にした。夕方の河岸は、魚のアラ目当てのお百姓さんの荷車の列ができたという。確かに明治の御世の地図を眺めると、渋谷あたりは一面の畑。荷車をひいて、旧魚河岸である日本橋へやって来るのも、そうはいとわぬ距離。お洒落な町は、魚河岸の魚のアラで肥えた田園地帯だった。リサイクル都市としての江戸の話を、最近、よく耳にするが、河岸も立派にその一端をになっていたのだ。
そこへいくと、今は……。
先日は、カラスミ用に卵巣を取り除かれたボラが、ゴミ箱に積まれていた。なんとかならぬか。まさかゴミ箱を漁るわけにも……。
そしたらしばらくたって、なじみの寿司屋さんからボラのヘソを甘辛く炊いたものをいただいた。内臓の一部で、ソロバンの玉のような形をしているから、通称ソロバン玉。
「ボラをおろす時、とっといてもらうんだよ。江戸時代なんて、こんなもんクチャクチャやって、酒、飲んでたんだよ」
確かに異常なまでの固さだったが、じっくり噛むうちに、口の中に白イカに似た甘味とうま味が広がってきた。
いいとこあるじゃん、あのオヤジさん。まだまだ捨てる一方ではない人種も、たくさん存在しているのだ。つい先日はマグロ屋の女将さんから、マグロの筋はゆでて酢味噌あえにすると絶品と聞いたしなぁ。
希代の懐石料理人、故辻嘉一さんは「美味は遠方にあるのではなく、手近な美味を高度な美味に引き上げるのが真の料理法」と、語っておられた。『手近』という点に微妙な違和感はあるものの、生ゴミと化すところを、美味しいものに仕上げ、楽しく食べる。これって、やっぱりロハスと思うんですけどねぇ。
- [今月の魚]

- つるんとした顔が、尼さんのようだから尼鯛。赤、黄、白とあるけれど、河岸でよく見かけるのは赤アマダイ。色のあでやかさにかけては天下一品。上品な味わいの白身は、尼鯛という名に恥じぬ味。焼き物にしたり、昆布締めにしたりと、京風料理に欠かせない魚だが、昨今はフランス料理などにも使われており、ますますの人気魚に。
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殻付き鳥貝の殻にすっぽりおさまったイイダコを発見。イイダコも、今が卵を持つ時期。産卵するかもと、アワビの水槽に。アワビ担当は、卵が孵化してアワビに影響を与えなければとヒヤヒヤ。しかし、放り出したら、店中の女を敵に回すだろうし。落ちつかない日が続く。
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