その隠れ家レストランは23時間営業。スタッフと
内容を相談できるシンプルなメニューもうれしい

 
 
人生の食事を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡
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男は、仕事に追われつつも、明け方に隠れ家レストランに行って
ワガママな注文をして大満足し、そして、「すし薫」開店へ向け、
今日も寿司屋巡りを続けるのであった。
 
 
小山薫堂 = 文・写真岡 正勝 = 題字
 
 
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×月××日

 一食入魂を心がけようと思いつつも、仕事が忙しすぎてだらしのない食生活が続いている。これを機に体重が減ってくれれば嬉しいのだが、逆に増えてしまうからタチが悪い。仕事が忙しいと、空腹の具合に関係なく、何か食べたくなる。どうやら僕の場合、仕事のストレスは全部食欲にすり替わってしまうらしい。

 午前5時に最後の原稿を書き終えて、ほっと一息。一山越えた自分へのご褒美として、麻布十番の「アザブ ハウス」へ行く。ここは最近、自分の中で最も使い勝手が良く、最も気に入っている店かもしれない。

 麻布十番の路地裏にあるマンションの1階部分、ちょっと見つけにくい隠れ家風のレストランである。この店を気に入っている理由は二つある。

 まず、その営業時間。ファミレス並みの23時間営業なのだ。だから、店の清掃タイムにさえぶつからなければ、朝の5時でも、夕方4時でも好きな時にフラッと行ける。不規則な生活をしている東京人にはピッタリの店と言える。しかも営業時間が長い上、席数がそこそこ確保されているため、予約なしでも比較的行けるのが嬉しい。最近のいい店は「予約のとれない店」ばかりなので困っていた。そういう点でも「アザブ ハウス」は二重丸である。

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「アザブ ハウス」のメニュー。無愛想なほどにシンプルな品書きだが、実はわがままな注文ができるということ。ありがたい。

 そしてこの店を気に入ったもう一つの理由は、メニュー。この店では、ファミレスのように時間帯に応じて、モーニング、ランチ、ディナーとメニューをかえているわけではない。基本的にメニューは一種類だけ。いや、と言うより、この店にはメニューはあってないようなものなのだ。メニューを開くとこの店の姿勢がよく分かる。

 例えば、「ごはん」のページには、「ミートソース スパゲティ1000円」「ピラフ800円」としか書かれていない。つまり明らかに、「スタッフと話し合って決めてください」というサインでしかないのだ。朝はベーグルと目玉焼きを焼いてもらい、昼は地鶏のコンフィをサラダ仕立てにして、深夜にスープだけ……と、まるで料理好きの友人の家に押しかけて、ワガママ言い放題で好きなものを食べる……そんな店である。

「食べさせたい料理を出す店」ではなく「もし自分ならどんな店に行きたいか」という視点での店作りが僕のツボにハマッた。そのうち客の誰かが言い出した無理な注文から、この店ならではのヒットメニューが生まれたりするに違いない。そういう意味では、味のうるさい客に磨かれ、時間が経つほどに料理は良くなっていくだろう。客とのコミュニケーションによって成長を続ける「アザブ ハウス」は、レストランの一つの進化した形だと思う。

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×月××日

 毎日、僕のオフィスには様々な人が打ち合わせにやってくる。中でも食に興味のある客人に共通して言えるのは、“手土産に凝っている”という点である。僕を「ギャフン」と言わせたいらしく、あの手この手を使ってくるのだ。

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熊本で大人気の「アンジェミチコ」のクッキー。まさに母親が焼いてくれたような、琴線に触れる懐かしい味だった。

 最近、最も「ギャフン」だったお土産は、ネット系OLのMさんがもってきてくれた「アンジェミチコ」のクッキーとチョコレートだった。まず、「アンジェミチコ」というインパクトのある名前にガツンとやられた。店のパンフレットの表紙には、たぶんミチコさんであろうオバちゃんがケーキを作っている写真があり、筆でアンジェミチコと豪快に書かれている。実はMさんは、僕と同じ熊本の出身。

 熊本では、ピエール・エルメよりアンジェミチコのほうが断然人気らしい。Mさんは今日のためにわざわざ熊本の実家に電話をして、アンジェミチコの詰め合わせセットを送ってもらったのだと言う。

 見るからに手作りの胡桃入りクッキーを頬張ってみると……ほほぅ……何だか、懐かしい味である。自分の古い記憶を呼び戻してくれそうな、そんな優しい味。オーガニックというキーワードよりも、母親がおやつに焼いてくれたクッキー、という言葉が似合う。

 たまには、田舎に帰ってみようかな、という気分になった。

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×月××日

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「すし匠 まさ」の若き主、岡正勝さん。「すし匠」譲りの技を十分に楽しめて、しかもリーズナブル。寿司好きが通うはずだ。

 「すし薫」への道はますます過熱している。そのための修業と、自分に都合の良い言い訳をしながら寿司屋巡りを続けているのだが、最近良かったのは、エキサイトの山村社長から紹介された西麻布の「すし匠 まさ」。居心地のいい狭さと若い主人の謙虚さ、そして四谷の名店「すし匠」で学んだ技の数々。それでいて安いのだから、食通の山村さんが絶賛するのもうなずける。

 そしてもう一軒、最近よく通っている店がある。日本橋の「木屋」という刃物店だ。寿司が好きで築地に通うのは分かる。寿司が好きで刃物店に通う自分は、やはり形から入るタイプなのだとつくづく実感。その木屋で柳刃包丁を買うつもりが、ついつい目移りして、桐の鰹節削り器を衝動買いしてしまった。

 木屋の隣にある「にんべん」で本節を一本調達して家に戻り、早速、使ってみる。一生モノのつもりで買った鰹節削り器。これから長年付き合っていく相棒なのだから“削りぞめ”は重要だ。思い悩んだ末、記念すべき最初の鰹節で、おかかご飯を食べようと思った。新潟から取り寄せた黒酢農法の有機米を、シーガルフォーで浄化した水を使って、釜で炊いた。さぁ、いよいよ主役の鰹節だ。本節についたカビを拭き取り、右手でしっかりと握って、頭のほうから削る。子供の頃、よく祖母にやらされていたので、削り方には自信があった。本節をひくたびに、いかにも切れ味のいい音が響き、それが空腹の胃袋をノックしてくる。あぁ、幸せな時間。鰹節を削る喜びは日本人にしか分かるまい。

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日本橋「木屋」で購入した桐の鰹節削り。調整バッチリ、しかも子供の頃にはよく削っていたので、自信があったのだが……。

 1分ほど削り、準備完了。ついに人生の記念すべき瞬間である。真新しい桐の箱をそうっと開けた。そこには、芸術的な薄さで削られた美しい鰹節の花が……ない。あるのは、粉の鰹節だけ。文字通り、粉々なのだ。刃の調整は完璧なはずだから、やり方がまずかったのか? しかし、何度やっても粉にしかならない。結局、鰹節の粉に醤油をたらし、それで最高のご飯を食べるしかなかった。

 鰹節すら満足に削ることができなくなっている自分に、寿司が握れるのだろうか? 「すし薫」への道はまだまだ遠い。


「アンジェミチコ」 熊本県熊本市尾ノ上1-5-6 TEL096-360-2933
「すし匠 まさ」 東京都港区西麻布4-1-15 TEL03-3499-9178
「木屋日本橋本店」 東京都中央区日本橋室町1-5-6 TEL03-3241-0110
 
 
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