冷たい水で真っ赤になった手は
河岸で働く女の勲章

 
 
福地享子 = 文坂木浩子 = イラスト
 
 

 ある寿司職人の方と、敵情視察というのかな、評判の寿司屋を訪ねた。カウンターで熱いお茶などすすり、寿司を2つ、3つ――、と、その寿司職人さん、ふっと呟いた。

「あっちの席も同業者だな」

 私もわけ知り顔でヒソヒソ相槌を打つ。

「向こうの2人でしょ。若いのにお好みで、サヨリだ、やれキスだって、注文の仕方がなんかプロっぽいですもんね」

「違うんだなぁ。注文の仕方だったら、若い素人さんだって、粋がってやる奴いるよ」

 フーン、どうやら私の見方は甘いらしい。

「手だよ。手を見たら一発」

 寿司職人は、水仕事を続けるうちに、いつしか手の甲から先が赤くなるんだそうな。

 色白な男2人組、手をマジマジ盗み見ると、ウーン、確かに。手がまるで赤ちゃんのほっぺが紅潮したみたいな色してる。

 とたんに私は、河岸にきて3年ほどたった頃の、些細なやり取りを思い出した。

 寒い朝、氷水にザブザブ手を浸し、コハダを仕分けしていたら、毎朝、通ってくる若い寿司職人さんが声をかけてきた。

「手が赤くなったでしょ」

 私はその言葉をねぎらいの意味と受け取り、河岸ではついぞ味わえぬ優しさに、思わずホロリ。薄幸の女を気取り、ひっそり(のつもり)笑みを返したものだ。

 あ〜ぁ、オバカさん。あれは、ちょっとした確認。きっと、このような――。

「アンタも長いこと水仕事を続けてきたから、オイラと同じ。手が赤くなったでしょ」

 そうなんだよな、魚屋稼業も寿司屋さんと同じ。水仕事の連続で、手が赤い。

 しかし、寿司屋さんと魚屋の手、そこには似て非なるものがある。

 寿司屋さんが河岸へ通うのに、長靴姿は普通として、夏でも手袋を欠かさない、という方もよく見かける。「むれないですか?」とたずねたら「商売道具だから」と、笑ってらした。お客さまの前に出す手が、日焼けしてシミでも浮いてきたら興ざめ、というわけだ。

「ハンドクリームだって、つけてるしね」

 寿司屋さんの手は、いかにもアフターケアが行き届いて、ツルンとしているのだ。

 しかし、魚屋稼業となると――。

 いやもう、荒れるにまかせ、という感じ。毎日、氷の入った海水に手を浸けっぱなしだから、手はカサカサ。焦って魚を扱ううちには、ヒレ骨でグサリの生傷もしょっちゅう。怖いのはカサゴのヒレで、これにやられると、腕までジーンと痺れてくるほどだ。店の裏に走って、傷口の毒を吸ってはペッ、吸ってはペッで、おしまい。再び、作業は続く。

 おとなしそうな、イカだって悪さをする。イカを大量に扱い始めた時、あのヌルヌルが小さな傷口に入って、やられたのだろうか。気がついたら、手にイボイボが! 3つ、4つ――。日増しに増えていく。さすが青くなったが、1年ほど続けるうちに跡形もなく、消えた。抵抗力がついたのか。

 今、イカを扱い始めたばかりの、ツトムの手にもイボができた。おまけに、アカギレが割れて、パックリ赤肌が見える。私の子供といってもおかしくない年の男の子。いたわりの言葉をかけたいけれど、それは胸の奥。やがて傷はいえ、イボも消え、そうやって魚屋の手になっていくのだから。

 昨日は河岸の食堂「豊ちゃん」で、貝むきのネエサンと名物の頭ライスを頬ばっていたら、ネエサンがちょっぴり愚痴った。

「やだよね、こんな手でさ」

 ネエサンの手は、なん十年と赤貝やハマグリを左手で握ってきたので、左の手は親指を除いた他が、外側にかしいでいるのだ。

「いいじゃない。働く女の勲章よ」

 私も今じゃ図太い節を持つ手で男なみ、と、手を見せると、ネエサンが言った。

「勲章か。いいこと言うね。ハハハ、だったらオラのほうが、ずっと大きな勲章だべ」

 その日の頭ライスは、ぐんと美味しかった。

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[今月の魚]
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 厳寒の頃、入荷するのが、カスベとも呼ばれるエイのヒレ。皮をむかれ、氷に埋もれてやってくる。フランス料理向けに置いたつもりだが、小料理屋さんにも人気。「鶏のスープで煮て出すと、女性客にバカ受け」なんだそう。コラーゲンたっぷり、フカヒレスープもどきというわけ。ホールトマトで煮込み、パスタソースにしてみたけど、美味かったなぁ。

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「豊ちゃん」の頭ライスは、カツ丼のカツとご飯を別々に盛ったもの。ご飯の量が加減できるしカツの油も適度に落ちて女性にも人気。

 冬は、同じ手法での「カキ頭ライス」もあり。大粒のぷっくりとしたカキがいっぱいの、これも元気のもと。

 
 
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