特集/日本のワイン
魂を揺さぶる、驚愕のワインを造る3人の若者を訪ねる
日本のワインを変える新星たち
日本ではほとんど真剣に取り組まれてこなかったことに、リスクを
背負って挑戦する3人の若者たち。おそらく彼らは日本のワインの常識を
根底から覆す、とてつもないワインを造り出すだろう――。
ワインに人生を賭け、とてつもない日本ワインを造り出そうとしている青年たちがいる。彼らの一人、岡本英史さんのワインを飲んだある人は「ボルドーのほとんどのシャトーがなぎ倒されてしまうね。こんな日本のワインに出会ったのは初めてだ!」と叫んだ。今、新しい夜明けを迎えつつある日本のワイン。実は、さらに新星のごとき造り手が登場し、急激な変化の原動力となっている。
山梨県須玉町の岡本英史さん(ボー・ペイサージュ)、長野県小布施町の曽我彰彦さん(小布施ワイナリー)、そして同じく塩尻市の城戸亜紀人さん(Kidoワイナリー)の3人は山梨大学の大学院(現在のワイン研究センター)で共にワイン造りを学んだ。修了後彼らは、今は亡き浅井昭吾氏から強烈な薫陶を受ける。浅井氏は日本ワインの発展を心から願い、メルシャン退職後も自らの知識を惜しげもなく、ワイン関連の仕事に携わる人々、特に若い造り手たちに与え、ワイン造りの思想を伝えてきた。3人の青年も、他の仲間たちとともに氏のペンネーム、「麻井宇介」にちなみ「ウスケボーイズ」を名乗り、定期的に意見交換を行ない、ワイン造りに励んでいる。
誰もが虜になる繊細で自然な
ワインを一人で造り続ける
岡本さんは現在33歳。須玉町津金の地で、たった一人ひたすらぶどう畑で過ごす毎日だ。津金は八ヶ岳の南斜面、標高800mの高地。山梨県といえども、秋の朝晩の冷え込み、冬の寒さはとても厳しい。岡本さんは大学時代にアルバイトをしていたレストランでワインに出会い、ワイン造りを志す。ワイナリーの後継ぎだったわけではない。大学卒業後は山梨大学の大学院で学び、勝沼のワイナリーなどを経て、独立。まずは畑をつくることが先決と考え、「空の広い場所を選べ、土を見ろ」という栽培家の助言に従い、あちこち土地を探し回り、とうとう津金に巡り合った。少しずつ自分で開墾してできたのが今の畑。彼のワインは本当に凄い。今までの日本のワインにはなかった飲み手の魂を揺さぶる力をもっている。一度飲めば驚き、瞬時に彼のワインの虜になってしまう。
ぶどうづくりこそがワイン造りという言葉はよく聞くが、ぶどうづくりに精魂込めて取り組んでいるのがこの人だ。それだけに収穫前の彼はとてもナーバスだ。「1年間、朝から晩まで畑で努力してきたことへの最終審判を待つ心境です。本当は早く収穫して楽になりたい……」。そう言いながらも、毎年収穫はぎりぎりまで待ってしまう。「秋雨を乗り越え、完熟までのハンギングタイムが長いほど、ぶどうは土地の味を自分自身の中に宿すと思っています」。
そして、収穫。岡本さんの手による正真正銘の粒選りだ。これを厳選と言わずして、何を厳選というか! 「仕込みの作業はぶどうをここまで育て上げたご褒美のようなものです」と、ぶどうとの時間を慈しむように丁寧に仕込んでいく。
赤ワイン用のぶどうは、たいていは何も加えることなく、粒のままタンクへ。待つこと1週間、ぶどうは自然に沸き出す(白のシャルドネは足で実をつぶす)。そうだ、ぶどうには天然の酵母が含まれているのだ、本来ぶどう自身の酵母でワインに変わっていくものだった……。実はこの造り、フランスの小さな造り手に脈々と受け継がれてきた伝統的手法に近い。「昔の人が当たり前のようにやってきた方法でワインを造りたいんです。ワインはあくまでも農産物です。津金で造るからには津金の景色がグラスの中に浮かぶような味わいを出したい。そのためにも無理な抽出は絶対したくない」
2003年からはさらにこの傾向が強まった。今は樽内のワインはほとんどがサン・スーフル(亜硫酸無添加)。ワインにはそれぞれの品種の個性が丁寧に引き出されている。いずれもピュアな果実味とのびやかな美しい余韻が印象的。造り手のぶどうそのものに対する愛情が伝わってくる。赤ワインには青臭いピーマンのような香りなど見当たらない。メルローのスタイルは2002年と異なり、アグレッシブなタンニンは微塵もなく、極めてやさしくエレガント。岡本さんは特にメルローを世の中に問うてみたいという。
岡本さんの真骨頂はメルローだが、筆者が個人的に心惹かれるのはピノ・ノワールだ。楚々として可憐だが、妖しげで忘れがたい魅力が潜んでいる。日本でもピノの個性を表現するワインができたのかと、驚きを感ぜざるをえない。
「仕込みはできるだけシンプルにしています。あらかじめ造りたいワインのイメージがあって、それに合わせてぶどうを仕込むのではなく、まずぶどうありきで、ぶどうがそのままワインに変わっていく」。これが彼のワイン造りの身上だ。
静かな熱血漢が造るワインは
底知れぬパワーを秘めている
ワインがしみ込んだツナギと長靴がトレードマークの曽我さんも33歳。小布施ワイナリーの四代目、極めて物腰の柔らかい、まじめな青年だ。だが、ことワインに対しては、爆発的なパワーを見せる。
1997年、彼はフランスに渡る。修業先が決まらないまま、「本場で学んで、日本で美味しいワインを造りたい」という情熱に突き動かされての渡仏だった。持ち前のまじめな姿勢が周囲に認められ、巡り巡って、銘醸ワインの産地、ブルゴーニュのドメーヌ・デュ・クロ・フランタンで修業することができた。ワインの本場で知ったのは、醸造施設は日本の施設よりお金をかけていないということ。その半面造り手ははるかに畑仕事に気を配っていること。「決め手は畑だ。がんばりしだいで日本でも美味しいワインができる」と曽我さんは確信、帰国後、畑づくりが始まった。
「フランスから帰った途端に畑を広げようとする私に父は大反対でした。無理もありません。ウチのような弱小ワイナリーの中で農場を広げているところは皆無に近かったので……」。曽我さんは当時を振り返る。「けれど、私の決意の固さを見て、父は大きな投資をしてくれました。現在も父とは意見の食い違いから格闘の毎日ですが、父は私の最も良き理解者の一人です」
そして、2003年、曽我さんのシャルドネは初めての国産ワインコンクールで金賞を獲得する。帰国以来、毎年少しずつ広げた畑は、小布施町周辺とやや山よりの斜面に点在し、なかでも要となっているのが、標高400mのなだらかな斜面にあるムラサキヴィンヤーズ。周囲の山々がぶどうを寒さから守っている。除草剤を極力まかない草生栽培で、芽吹きの頃は畑一面にタンポポの花が咲き乱れる。曽我さんは小布施の自然にどっぷりとつかりながら、季節の移り変わりを肌で感じ取り、ぶどうの世話にいそしみ、ワインを造り、農閑期には畑の開墾に励む。「生活における楽しみや哀しみが農場での出来事という毎日です。これでいいのかなと悶々とすることもあります。でも収穫から仕込みにかけてはワインへの情熱が、一切の欲望を上回ってしまいます。自分でも変人かと思うほど……。仕込みに突入すると、体力の続く限り、本能の赴くままに造りに没頭してしまいます」。彼からはオーラがガンガン感じられるのだが、彼自身は自分の力に気づいていない。
ワインは人となりを表すというが、静かな熱血漢、曽我さんのワインには、赤、白いずれもガツンとくるパワーがある。ぶどうはヴィニフェラといわれるヨーロッパ系品種中心。1000円台の赤、オルディネールでさえ、果実味がぎゅっと詰まって力強い。メルローもシャルドネも果実のエキスが生き生きとして存在感がある。樽の風味と果実味とのバランスも取れている。
「日本の白は色が薄いとか、赤は水っぽいと言われると、闘志がムラムラとわいてきます」と曽我さんは言う。大御所と呼ばれる先生にさえ、議論を挑んだこともあったとか。「何事にも臆せずに毎年新たな挑戦をします。まだ、自分のスタイルを決めつけたくないんです。進歩を続けるのが僕のスタイルと思って欲しい」
11月に家族の思いが詰まった
ワイナリーをオープン
城戸さんは現在34歳。11月3日に自身のKidoワイナリーをオープン。大学院でワイン造りのおもしろさを知り、これを一生の仕事にしない手はないと思った城戸さんは修了後、塩尻のワイナリーに就職。しかし、自分自身が心底美味しいと思うワインを自分で仕込みたいという思いが強まり、独立。3人が師と仰ぐ浅井氏の死、ウスケボーイズのメンバーである友人(旭洋酒の鈴木剛さん)の独立が、城戸さんにワイナリー設立を決意させたのだ。浅井氏は亡くなる6カ月前に、若手の醸造家を集めて、講演会を開いた。「浅井先生の言葉には、日本のワインの未来は君たち若者が変えなれければならない。高い志を抱け! という若い造り手への熱いメッセージが込められていました」と城戸さんは語る。
伴侶がぶどう栽培農家の娘だという縁はあったが、ワイナリー設立となると、果実酒製造免許が必要だ。畑の開墾と並行して、この手の煩雑な作業も城戸さんは一人でこなした。「ワイン造りに加え経営者として営業も資金繰りも大きな仕事となりますが、本業のぶどうづくり、ワイン造りの時間を捻出していくのが今後の課題です」
ワイン造りのコンセプトは「自分が造りたいものを造る」こと。「食に関する原点は生産者自身が食べたいものをつくって、それを消費者に理解してもらうように努力して売ることだと考えています。まだまだ売れるという理由だけで、造られているワインがある」と日本のワイン界の現状を鋭く指摘する。彼の畑では、除草剤は一切使用せず、農薬の散布も少ない。来年発売予定のメルローも亜硫酸無添加だ。これは何も無農薬ワインや無添加ワインを造りたいからではなく、自分が美味しいと信じるワインを造りたいからである。前述のニ人と違うのは、シャルドネ、メルローに加えて、ナイヤガラという品種にとことんこだわること。独特な香りの強さからとかくワインメーカーからは軽視されがちなこの品種を、低温でゆっくりと仕込み、きりっとした辛口に仕上げている。「父が育てた最高のナイヤガラに手をかけて仕込んだ(通常ナイヤガラは温度管理などせずに仕込む)ナイヤガラ・ブリュットは、私の自信作です」。来年発売予定の「城戸プロジェクトK」はメルローの魅力が上品に表れている。のびやかできれいな余韻がすうっと静かに長く続き、心に残る。
「たとえ迷っても醸造に関しては人にはあまり相談しません。データにも頼らず、参考書も読みません。何回もテイスティングして、じっくり考え、最終的には勘で結論を出します」。城戸さんの信じる「五感を信じた、思うがまま、感じるがままのワイン造り」だ。
3人はいずれも、ワインを工業製品ではなく農産物の延長としてみなす。畑に身を置き、ぶどうを育てることを日々の生業としている。そういう意味では彼らはワインメーカーではなく、「ぶどうを育む人、ワインを育てる人」だ。学生時代、毎日夜中まで、ワインを研究し、ワインを飲み交わした3人は、今、それぞれ別の土地で、“本当の日本のワイン”を造ろうと変わらぬ情熱を注ぐ。国産100%は言わずもがな、自分のワイン用のぶどうを可能な限り自力で育てることにあくまでもこだわる。彼らのワインからはぶどうを育んだ日本の大地が透けて見えるようだ。
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※2004年12月号では、さらに詳しい写真やデータ等を掲載しています。ぜひ、ご覧下さい。
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